リサイタル後の心境 〜その2 「アンコールの曲目②」〜

こんばんは。仲村真貴子です。

「アンコール」の曲目。

アンコールの二曲目は
ショパンのノクターン 作品27-2

これは偶然ですが
アンコールの二曲。
両方とも変ニ長調でしたね。
♭5個。
今回のプログラム、全体的に♯も♭も多目でした。(笑)

ショパンを苦手にしていた私が
初のリサイタルで半ばショパンをメインに据えるような
プログラムを組むのは、
衝撃でありチャレンジだったけれど。

人生で初めて弾く「ショパン」が、
「ワルツ」ではなく「ノクターン」だったら
もしかしたら違っていたかも…とも思います。

「ショパン」が苦手!もなくは無いけれど
「ワルツ」が難しかったような気もする。

でも。
「ノクターン」って、
オトナの嗜みのような感じもするんですよねー。
だから、これでいいのかも知れない。

個人的にはショパンのノクターンは
他に作品62の2曲が好き。

作品60 舟歌
作品61 幻想ポロネーズ
作品62 2つのノクターン

…この流れは、すごく魅かれるものがある。
構成としては、ポリフォニック。

「好きな曲を選んで」
と言われたら、
どの作曲家でも晩年の作品に魅かれることが多く、
ショパンとて例外でなく。
特にノクターンはショパンがこの世に別れを告げるような感じが
生々しくもあり、
シューベルトやブラームスの晩年の作品に似たような印象を受けます。
けれど、ショパンのそれは決して暗くて悲しい訳ではなく
どこかで受け入れているかのような、
そんな印象もありつつ。
いつか弾きたいな…と思う曲の1つ。

プログラムの後半…
「アイーダ」〜「幻想ポロネーズ」〜「舟歌」の流れは
秘かに「死生観」のような要素が色濃く、
実は今回のプログラム全体もそのような想いはありました。
ちょっと重すぎる気がして全面には出さなかったけれど。
「アイーダ」とか、「ルチア」とか、
少々血生臭いですし。(笑)

…そんな訳で、
ノクターンは作品62ではなくて、27の方を。

けれど、前述の通りこれは
ドイツでの二人の師匠へのオマージュ。

ショパンのノクターンに関しては
ピアニストで直接の師でであるAndreas Pistoriusへの想いです。

なぜこの曲か?と言われたら。

師匠が自身のリサイタルのアンコールで演奏したこの曲が
素晴らしくて、忘れられなかったから。

私も、「これ、やりたい!」って。(笑)

私のドイツ生活は、
実はショパンに始まり
ショパンに終わっていますが。

「アンコールでの演奏が素晴らしかったから
弾きたいと思って。」
と言ったら、
巨漢かつ仙人のようであらせられる師匠は
ニンマリしていましたね。

もちろん、名だたる有名なピアニストが演奏しています。
生で聴いたポリーニの演奏も、素晴らしかった。
ルービンシュタインが歌いながら弾いている映像も、好き。
クレア・フアンチは、スタイリッシュで瑞々しかった。

でも。
師匠のハイデルベルクでのアンコールが、いちばん。

音楽の存在って結構個人的なもので、
好き嫌いとか、「いちばん」とか、経歴とかではなくて、

何が自分にとって大事か?

と言うところだと思うんです。

確かに輝かしい経歴や名声によって、
その人や演奏が素晴らしく見えるのは、わかる。

けれど、
ショパンのこの曲に関しては
師匠のあの演奏が、忘れられない。

「私にとって」、は。

そんな想いでこの曲を選びました。

師匠を超える、超えないとか、
ショパンの解釈がどうのこうの、
…と言うよりも。

「自分に取って、大切なものを見つけること。」

それが、
師匠のメッセージだったように思います。
今にして、やっと気付くこと…でしょうかね。

それでは、また!
仲村真貴子

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