ぴあののはじめかた7

こんにちは。仲村真貴子です。

…日本で住んだことがある場所は
「水戸」と「東京」の2箇所。

「え??きーちゃん、転校してるの?
引っ越ししてるの??」

とか言われることも割と多いんですが。

自分としては
「生粋の東京の人」という感じとは
やっぱりちょっと違うな…
と思っています。

「花の都・大東京」とは言わないまでも
東京が好きで憧れるところがあるのは
少なからず田舎モン気質かと。

ちなみに。
この「きーちゃん」という、あだ名。

東京に引っ越してきて
小学校4年の2学期〜高校のときに
出会った友達は、
みんな私のことをこう呼びます。
真貴子の「き」から取ったもの。

だから、
この限られた呼び方で呼ばれると
ちょっとホッとするのね。
最近会った人に呼ばれたら
恥ずかしいかもしれないけど。笑

大学の友達は、
「まっきー」「まきまき」「まっきんこ」など色々。
ドイツでは基本呼び捨ての
「マキコ」。

“Betonung”はどこか?

とか訊かれることもたまにあって。

“Betonung”ってアクセントとか重心とかって
意味なんですが。

「…はい????」

と聞き返すと。

「”マきこ”なのか
”まキーこ”なのか
”まきコ〜”なのか。」
(…なんか雰囲気伝わる?笑)

「えー。どれでもいいけど。
3つ目は違うんじゃない?」
っと、適当に答えてました。

なのに、実際3つ目が多数だった。
うちの先生とか。特に怒る時。笑

この質問に困るのは
日本語って高低アクセントで
ドイツ語って強弱アクセントなのね。

ついでに
「名前の意味は?」
と訊かれることも多くて
コレまた適当に”noble”とか答えてました。笑
失礼、英語でしたね。
ドイツ語だと”edel”。
「高貴な」って意味かなぁ…と思って。

でも、今だったら多分
“Wahrheit”って答えると思います。
「真実を貴ぶ」って意味だよ、って。
…重いなぁ。笑

ナゼ呼び方を辿るか?と言うと
水戸にいた頃に何かあだ名があったか?と言うと
多分ないんです。

初等科教育が行き届いた学校でしてねー、
「女の子は『さん』付け、
男の子は『君』付け」
と言う、校則じみた厳格なルールがあったんです。
呼び捨て禁止。

…なんだけど。

この「仲村さん」と言う
礼儀正しく非常に常識的な呼び方が
あんまり好きじゃなかったんですね。笑
今も、実は変わらず。

兄も同じ小学校で
「仲村君の妹」って言う見方が
割と多かったから。
先生とかも、知ってるし。
それを感じつつ
「私。仲村君の妹じゃなくて
『真貴子』だし。」
とか思っていたとか、いないとか。

もっともこの「我が強い精神」が
遺憾なく発揮されるのは家族限定。

例えば
兄が「4つ上」だと
心身ともに敵わない訳ですよ。
トランプとかゲームでも
勝てるはずがない。
…なんだけど、
そこで「負けず嫌い精神」を発揮してしまい
負けると拗ねちゃうような性格。
心優しきお兄ちゃんは
わざと私が勝てるように仕組んでくれたことも。
…かたじけない。

母親とはかなり激しい喧嘩もしていたし
年が小さくて歯が立たないけど
早く大人になりたい!
みたいな感じだったかも。

じゃあ外でも
勝気で面倒くさいヤツだったか?
と言うと、そうでもなく。。。

小さい頃のあだ名は「のろまっこ」と言う訳で
何でも「遅い」タイプ。
「人のことはいいから
自分のことやりなさい」
「口はいいから
手を動かせ!」
と言う訳で、
見事に手しか動かない子に成長しました。爆
ええ。
半分冗談です。

走るのとか
着替えとかの用意も遅いんですが
食べるのも遅く…
なのに、
人を手伝ってあげようとしちゃうって言う
お節介面倒くさいタイプ。

食べるのが遅いのは
理由があって。

私。
牛乳苦手なんですよ。

食べ物の好き嫌いが少ないのと
人の食べ物の好き嫌いを一発で覚えることと
ついでに
人の誕生日星座血液型家族構成を
一回聞いたら忘れないので
CIAかFBIかどっかの役所で
働けるのではないか?と勝手に思っていることは
どうでもいいのですが…

その、
ほぼ唯一、
人様に出されたら断るであろうものが
「牛乳」。

幼稚園でも
給食でも
「牛乳」って出るでしょ??
残しちゃいけない…のはわかるんだけど
やっぱり時間かかっちゃうんですよねー。

好きなおやつは
ハッピーターンとチーズおかき。
あと、いちご。
名札シールがいちごとかさくらんぼだと
嬉しい子でした。笑
ちなみに、
牛乳は苦手でも乳製品は大好きです。
アレルギーではないです。

それと。
「一対一」で人に接するのは
割と平気で苦にならないのですが
大人数…というか、
「班行動」みたいなのは苦手で
あぶれちゃったりするようなタイプ。
なんか、未だに群れるのは
あんまり得意じゃないみたい。

その意味で
ピアノやってる…って言うのは
理にかなってるんだけど。

外では人と仲良くなりたい、
ちょっと楽しくやりたいために
わざと騒がしくするような
ひょうきんなサービス精神も
多少は持ち合わせておりますが。
ブログも
「ちょっと楽しんでほしいなー」みたいな
期待というか願いもあるし。

水戸にいた時に
「ちょっと大変だったな…」
と思うのは、ズバリ
「ピアノをやっていたこと」。

そのまま水戸にいたら
ピアノ続けていたのかなぁ?と疑問だし、
一方で最初から東京だったら
どうやってピアノ始めたんだろう?
とも思いますが…

東京に引っ越して衝撃だったのは
ピアノ習ってる子の「少ないこと」。

コレは、
教育水準とか住宅事情という言葉で片付けるより
自身の体感としては
「芸事が好きな土地柄」という感覚。
徳川のお膝元・水戸は
早い話が「見栄っ張り」「派手もの好き」
という方がしっくり来るかと。

例えば
1クラスが40人だとしたら
水戸にいた時に
ピアノを「やっていない子」って
2〜3人なんですよ。
「え?やってないの?」みたいな。

確かに学校の教室にアップライトはあったし
音楽の授業は3年生から
個別の電子オルガンがあったし
(…机の蓋を開けると、鍵盤になっていて
それがオルガン。)
学校に森があってたまにタヌキとかヘビも出るし
やっぱり環境なのか
エセ・エリートなのか
田舎なのか
ビミョーなモンです。

これが東京だと
40人のクラスで
ピアノやってたの10人位?
聞くところによれば
中学校のクラス分けでは
ピアノを弾ける子が
偏らないようにする、とか。
当たらずとも遠からずだと思いますね。

なのに、
ピアノをそこそこ本気でやってても
「ふーん。そうなんだ。
また今度遊ぼうね。」
って感じで。
やっかみでもなく
特別視する訳でもなく
楽しく生活できたのが
とってもよかった。
「さっぱり具合」を、
人によっては「他人に無関心」という意味で
冷たく感じるかもしれないけど
私はすごく心地よかった。
事実、今でも小学校でも中学校でも高校でも
先生を含めて
長続きしているお付き合いは
たくさんあります。
音楽家に限らず。
嬉しいことです。

…コレが、水戸だと正直この限りではなく。。

3歳から5歳に、小学校の頃に
ピアノを習っているのは
珍しいことではないとして。
5歳、つまりは年長くらいで
差がついてしまうのは、事実としてあるんです。
別に一生そのままだ、
と言いたい訳ではなく
本人が好きで望むならば上手になるし
そうでもないなら別にどうだっていいと思うんだけど

「我こそは、一番。」
「まきこちゃんより私の方が上手!」
「あんなに弾けるならうちの子も!」

みたいな動きが起こる訳ですね。

幼稚園や小学校でも、
お教室でも。

学校の教室にあるピアノを
「私が弾く!!」
「私の方が上手なんだから!!」
みたいな感じで、取り合う。

うーん。。。
何でもいいけど。
どうなのかなぁ。

とか思ってる、生意気な子でした。苦笑

「何時間練習するの?」
「今、何弾いてるの?」
「発表会があったら行くからね。」

この他愛のない会話に疲弊していったのは
そこに「品定め感」が
透けて見えたから。

時にはうちの親に
「先生を紹介して欲しい」みたいな
申立てまで。

私がピアノをやることが
自他ともに大変なこと…

という意識は、
かなり根強いものがある。

今は大分、
面倒なものは自分の責任で
避けるようにもなったし、
やっかみとか嫉妬っていうのは
何もやってない人なんだろうなぁ…
とか思うようになったけど。

でも。
自分がイヤだったこと
傷ついたことを
「人にやり返す」のではなくて
うまく消化することは
心掛けています。
やりたいことで秀でている人が、
心ない嫉妬心によって諦めて欲しくは、ない。

まぁ私は
出来るだけ面白く
不幸話は笑い話に変えて行きたいですね。
明石家サンタで鐘をもらえるように。笑

私がピアノをやることで
本当に苦労したのは
「人間関係」ですね、要するに。

やりたいことをやりたい、
やりたくないことはやりたくない。

って言うよりも、

「一緒にやりたい人とやりたい」

そっちの方が自分にとって大事なのかも。

けれど。

そのおかげで
「真実を貴ぶ」ことに近づくとしたら
自分の願うところかもしれません。

もしかしてだけど。

それでは、また!
仲村真貴子