家族を想う日

こんばんは。仲村真貴子です。

3月31日というのは
母方の祖母の誕生日でもあり
父方の祖母の命日でもあります。

今日、母方の祖母は100歳を迎えました。

「100歳って、1924年生まれってことですか?!」

と、至極単純な質問をされて笑ってしまったけど
あぁ。
100年って、そういうことなのか、と。

100歳を迎えるって、どんな感じなんだろう?とも思います。

3年前の2021年は、京都で花見をしているところで
「お誕生日おめでとう!お花届いてる?」
なんていう電話をしていて、
一方でその隣では
「式場の花の手配を…」
なんていう連絡をしていました。

「おばあちゃん、100歳おめでとう!」

っていうその時間は、
おばあちゃん本人よりも
意外とその周りの家族にとって貴重な時間だったかもしれない…

と、帰りの電車で少しホッとして
缶ビール片手に思うのでした。

ケーキとお花で祖母のお祝いをして、
写真や動画を撮ったり、
その後お墓参りをしたり。
家族全員が揃ってそういうことができるのは
意外と貴重なことだから。
家族揃って写真を撮ることなんて滅多にないよなぁ…って
撮った写真を見てしみじみ思ったり。

「家族を大切に」
「大切な家族だから…」

そんな言葉はよく耳にするもの。
身を持ってそのことを感じています…

それもわかるけれど、
実際のところ、「家族」というのは
ある意味で非常に面倒で難しく、重たいものだとも
思っています。

なぜならば
時にお互いを侵食してしまうから。
精神的にも物理的にも、経済的にも。

「家族」といえども
お互いの趣味嗜好や考え方は違うし、
「やって欲しいこと」「やりたいこと」は
お互いに違ったりする。
「相手のために」と思うはずがアダになることもある。
自分がすり減りすぎることもある。

「若い時に大病をすると、そこを越えると長生きする…」

なんて言葉を聞いたことがあるのですが、
実際に祖母がそうで。
若い頃は長いこと入退院を繰り返していたそうです。
10年近くに及ぶかもしれません。

その間、母が寂しい思いをして大変で
頑張っていたのは事実で
その部分に寄り添うことは大事なのかもしれない…
なんて思ったのは、ここの3年間くらい、
パンデミックの隠居期間かもしれません。

あれこれ考えて準備して「喜んで欲しい」と思っても
予想に反して喜んでもらえなくてガッカリすることもあるし
そんな時に自分を責めず、
自分を労って疲れを癒すには
相手も自分もよく知る必要がある。

何が好きなのか、
どんな時にツラいのか、
「どこまでなら」「何なら」
「自分が」対処をできるのか。

そんな小さなことをつぶさに観察することが
みんなが元気でいる秘訣かもしれません。

「家族」といえども
お互いの趣味嗜好や考え方は違うし、
「やって欲しいこと」「やりたいこと」は
お互いに違ったりする。

そのことが負担になることもあるわけで…
お互いに侵食しないためには
自分も他人も観察して、分析して、整理して、理解する必要がある!
…とか言ったら、ちょいと現実的すぎるかな。

過去には「相手を知る」「自分を知る」ということが
「品定め」みたいで感じ悪いな…と
拒否反応もあったけど…

「そのまま」を見ることとは
「善悪をジャッジすることではない」と気付いた辺りから
少しずつ対処ができるようになった気がします。

そして、ちゃんと休んで
ちゃんと自分をいたわることを忘れずに。

おばあちゃん、100歳おめでとう!

そして、父も母もありがとう。

と思う日なのでありました。

一説には3月はキツい時期らしく、
毎年恒例私も少々キツかったですが…
明日から4月。
体に気をつけて、みんな元気で!

それでは、また!
仲村真貴子

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください