「海辺」とリストのソナタ

こんにちは。仲村真貴子です。

…ふとした時に
ふと、あの曲の、あのメロディーが
浮かんできて…

っていう経験は
誰でもきっとあるはず。

おそらく、音楽家に限らず、
誰でも。

その、「あの曲の」「あのメロディー」は
思い出とか、記憶と結びついていて
「この曲を聴いたときは
こんなことがあって…」
みたいに、
自分の人生にアクセスできるのは
やっぱり音楽のいい所。

でも、
音楽家の面倒くさいところは、
その「ふと、浮かんだ曲」が
実現可能かどうか
すぐに考えてしまうこと。

実現可能かどうか。
…要するに
「弾けるか、どうか」ってこと。

その瞬間、
希望を持ったり、
絶望的になったりする。笑

海辺ではどういう訳だか
リストのピアノ・ソナタがぐるぐる廻り、
ちょっとどうしてみようか
悩ましい気持ちになった。

リスト作曲のピアノ・ソナタ ロ短調。

休みなし30分の長大な曲だ。

実はすでに二度ほど挫折をしていて
今後舞台で弾く日が来るのかどうか?は
今のところ未知数。

弾くかもしれないし、
弾かないかもしれない。

理由は明白で、
やっぱりオクターヴが大変過ぎるから。

一度目にチャレンジしたときは
某大学に入った直後、
「大きい曲でもやってみる?」
という話になったとき。
「リストのソナタ」の名前が出てきたときは
鼻血が出るくらい嬉しかったけど。
小指の指先を切ったり、
3ページほどで頭の血管が切れそうなほど
ヘロヘロになったり、
なかなかショックだった。

二度目はドイツで。
日本では弾けなかった
同じくリストの「ダンテを読んで」を
一応弾いたことに気を良くして、
チャレンジしてみたくなった。

このときは、どちらかといえば
やる必要がなくなってしまった…
というのが理由。

レパートリーとして「ダンテ」があるし、
よくも悪くもリストのソナタといえば
「コンクール」
という印象があって、
気後れしたように思う。

…いずれにしても。
「積み上げること」が
必要な曲だと思う。

「テクニックが全てではない」
といいたいけれど、
この曲をさすがに全部単音で
弾く訳にはいかないし。笑

でも、
もしも弾くなら
ヴィルトーゾ、いわゆるテクニック前面!
というよりも、
積み上げた演奏がしたいなぁ…
なんて、ぼんやり思う。

リストの作品における
「テクニック前面」も
語弊と誤解があると思うけれど、
その真髄が「テクニック」によって
隠されてしまうことが
難しさだと思う。

その点で、
意外と特徴を出すのが
難しい。

「オクターヴ、ギリギリ」
を出発点として、
その可能性を探ったら
「積み上げることで見えてくる特徴」に
迫ることができるかもしれないし、
やっぱり無理かもしれないけど。

「若さ」と「勢い」ではない、
ちょっと渋いリストのソナタも
いいかもしれない…
と、大海原のような幻想を抱いてみる。

間違えて、
録音残したい!!
とか思ったりするなら、
一日一ページとかで
やったらいいのかも。

やるかやらないか、
わかんないけども。

信じるのは、
あなた次第です!
…なんちゃって。

それでは、また!
仲村真貴子

追伸:
ショパンのプレリュード全曲とかも
いいけど、
それも幻想かなぁ。
1日1曲で24日。
…え、何とかなるか?!笑