11月22日 リサイタルに寄せて 〜その18 「日本代表とMr.Children」②〜

こんにちは。仲村真貴子です。

パソコンで何かするとき、プログラムノートその他諸々を書くときのBGMは、このところミスチルが定着。

直接的に言葉を持つ「歌」は、こんな時にわかりやすくて気楽。
言葉を持たない曲の、自分の感覚に委ねて自由な発想が出来るのが気楽な時もあるけれど、言葉を持つ「歌」は、言いたくても言えない事を代わりに言ってくれる爽快感がある。

気恥ずかしくて言えないこと、
言ったら問題になりそうなこと、
自分が、本当は自分で言いたいこと
実は真剣なこと。

この辺りを言うのが、ミスチルは結構上手だと思う。

ドイツにいる間は、ドイツ語を習得するために日本語のものを断つべきだったのかもしれないけれど、そんな時に気恥ずかしいくらいの分かりやすさ、ストレートさに救われたのも事実。それは、「日本語の美しさに気づいた」なんてほど綺麗事ではなく、自分にもわかることがあるらしい…みたいな、ちょっとした自信をもたらしてくれる。わからないものに想像力を総動員するのも、楽しい。でも、時に疲弊していくのも事実で、例えば「浜崎あゆみ、結構いいこと言ってるじゃん」とか思うと、なぜか少し自分の感覚を信じられるような気がする。

プログラムノートを書く時、今回は
「自分が何を感じているか。」
「自分がどんな事を思っているか」、
そんな事を中心に書くようにしている。

学術的な説明や楽曲分析などなどを書くべきかもしれないが、それは数多の研究者がすでにやってくれているし、「本を読んでください」と一言言えば済んでしまうところもある。説明が必要、あるいは自分がその曲を深めるために分析が必要なのは事実ではあるけれど。

でも、それよりも「自分がどう感じるか」「自分がどう思うか」。
その感覚や、曲にまつわる経験やエピソードは、「私」だけのもの。

今回は、そんなところを大事にしようと思ってやっている。

そこで例のMr.Children。

ミスチルの曲を聴くときに、先に歌詞を読んだり、それを分析したりは「していない」と思うのです。

まず聴いて、
「好き」とか「嫌い」とか「変なの」とか「感じて」、
「え?なんでそう思うのかな?」と思ったら、
「あ、イントロが最高」とか、
「早口言葉のところ覚えたい」とか、
「なんか失恋ソングばっかり好きだな」とか、
そこで「理由付け」をして納得する。
…みたいな、そんな感じ。

それを、自分の演奏とか、プログラムノートに当てはめてみようかな?と。

「イントロ」は大事ですね…。
これを実感するのは、ピアノ曲よりも「歌」において。
ミスチルだったら、「HANABI 」と「Tomorrow never knows」かな。
でも、サザンの「希望の轍」なんかもイントロが最高だし、シュトラウスの歌曲なんかも、前奏をおかずにご飯3杯行けそうなほど素敵な曲が多数。
こう考えると、出だしのプレッシャーとハードルが上がりそうだけど、分かりやすく実感する次第。

同じく、「最初に何を言うか」「どう展開させるか」。
これは、文章を書くにあたってちょびっと参考にしています。
いきなり「ディカプリオの出世作なら…」とか言ってみたり、
「いちばんキレイな色ってなんだろう?」とか疑問を投げかけてみたり。
あるいは、曲の中で「僕が悪いんじゃない でも君のせいじゃない」とか、事実をそのままポンっと置いてみたり。
…あ、自分が演奏するときに考えてることと、同じじゃんね…。

あと、「熱量」ね。
「当たり前のことを、物凄い熱量で言う」とは、関ジャム∞の時のコメントの受け売りだけれど、これ大事。
面白いことを言うとき、大事なことを言うとき、
取り敢えず「デカい声で」「ゆっくり」言うってヤツ。
大切なので2回言います!とかね。
あ、これも演奏に使えるなぁ…。(笑)

まず何かを「感じる」こと。
それが「なんでなのか?」を考えること。

長らく「自分を信じられる自信が欲しい」と思ってきたけれど、ヒントはここにある気がしています。
「自信を持つ」、と言うよりも、
自分の感覚を信じて、自分の感覚に寄り添うことで
一歩先に進むことができますように。

それでは、また!

仲村真貴子
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