11月22日 リサイタルに寄せて 〜その19 「10月18日に」〜

こんばんは。仲村真貴子です。

10月18日は私の誕生日。

10月17日はショパンの命日。
10月18日はネルソン・フレイレの誕生日。
10月18日はグノーの命日。
10月19日はギレリスの誕生日。

10月18日生まれの有名人は、郷ひろみとか蜷川美花さんとか、テニスのナブラチロワとか。芯が強くて、しぶとい人が多いような印象を受ける。

…この辺りは、自分が音楽家でいたいための、こじつけ。(笑)
勝手に関連付けて、ちょっと楽しんでいる。
まぁ、十分に楽しめる。

でも、誕生日近くの出来事となると、結構ターニングポイントになるような出来事がいくつかある。これもこじつけかもしれないけど、自分に直接的に関わることとなると、ある種の運命的なものを感じられずにはいられない。

いちばんは、「ピアノ」。

10月19日は、今のピアノがうちに来た日。
来年で30歳になる。

「幼き頃の私のところに、大きなグランドピアノが来ました。
まきこちゃんはそれが嬉しくてピアノをがんばって、ピアニストになりました。」

…とか言えれば美談でかわいいけれど、それで終わらせるにはちょいと話がデカくて重いような気がする。

そのピアノは、「ベーゼンドルファー」だから。

親に言わせれば、「プレゼントした」のではなく、今でも「貸している」らしい。
6歳の、将来本当にピアニストになるかどうかわからない子に、歴史的名器を与えるなんて、なんたること!!と言われていたのは、よく知っている。
私も、その価値が本当にわかっていたかどうかわからない…と言う前に、「大変なことになってしまった…」みたいな、単純に「嬉しい」だけでは済まないような戸惑いがあった気がする。

その価値が本当にわかっていたか?は謎だけれど、
価値がわかるかどうか?は、買ってみないとわからない。
「宝くじは、買わないと当たらない」と言う言葉を引き合いに出したら、即物的すぎるだろうか。
でも、夢を買うべき博打を打って出たうちの両親は、音楽家になるべき素養十分の稀代のギャンブラーだ…と今なら思う。
実際のところ、結構いい音楽家になったんじゃないかな。

当初家にあったアップライトは、母が持っていたもの。

「団地に運ばれるアップライトを見て、『あれが欲しい』って言って泣いた。」
「クラスの友達に、どこでピアノを習っているのか、聞いて自分で先生を探した。」
「自分で練習しに行って、鍵閉めて帰ってきてた。」
「先生変わったら、うまく行かなくなった。」
「手が小さいから。大曲は弾けないと思って…」

…ガチ具合にビックリするエピソードばっかり。
そして、どっかの誰かが言ってた話も含まれる。
「歴史は繰り返す」とはよく言ったもの。
ワーグナーの循環主題の真髄は、これか!とも思う。

アップライトが運び出されるときに泣いた記憶があるのは、今にして思えば「母の想い」だったのだろう。
正確に言えば、私がピアノをやったことに関して。
それは、「熱心な教育ママでした」とは違う種類の、実は小さい頃に人知れず頑張っていた「想い入れ」からだろう。
母が小さい頃に日本舞踊を習ったのは、祖母がやりたかったら…と言う話と、どこかで通じる。

「歴史は繰り返す」は、悪いことばかりではない。
ワーグナーは、最後に一応「救済」してくれているし。
でも、私に課せられているものがあるとしたら、その「繰り返している」思いを、ちゃんと自分の力で回すことだと思う。
それが、新しい歳の目標かな。

もう1つ、付け加えるなら。
祖母は、なかなかに勝負強い、ギャンブラーなところがある。
私はギャンブルはやらないけど、前述の通り、音楽家の人生はギャンブルそのもの。
私がベットしているものは、パチンコでも馬でも自転車でもなく、

「自分自身」

…最高にタチが悪くて、上等じゃない??

それでは、また!

仲村真貴子
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