11月22日 リサイタルに寄せて 〜その8 「ごた混ぜのプログラム」〜

こんばんは。仲村真貴子です。

「ごた混ぜのプログラム。」

大学の時にある先生が仰っていた言葉を拝借した。

リサイタルとは。
一人の奏者の演奏のみで構成される演奏会のことである。
今でこそ主流であるけれど、
このスタイルを確立したのは、リストだと言われている。

では、当時の演奏会のスタイルはどうだったのか?というと、
そこで「ごた混ぜのプログラム」である。

つまり、1つの演奏会の中でオーケストラ曲、オペラのアリア、独奏曲のように様々なジャンルの様々な作品が、複数の人たちによって演奏されていた。
だから、「ごた混ぜのプログラム。」

さて、私の今回の演奏会、もといリサイタル。
…そこそこ、「ごた混ぜのプログラム」だと思う。
「バラエティに富んだ」と言えばカッコいい気がするけれど、ちょっと違うかな。

例えば、作曲家の出身の国。
ドビュッシー→フランス
スクリャービン→ロシア
リスト→ハンガリー
ヴェルディ→イタリア
ショパン→ポーランド
…見事に全員バラバラ。

ついでに、曲の形式
表題音楽
ピアノ・ソナタ
編曲作品
「曲の形式」そのものがタイトル
…こちらも、見事にバラバラ。

この、「ごた混ぜの…」というのは、1つのキーワード。
でも、それだと「バラバラのプログラムの演奏会」で終わってしまう訳で。

「ごた混ぜ」を、どう「1つ」に見せるか。
「ごた混ぜ」の中に「共通するもの」は何か。

これらは、もっと大事なキーワード。

実は今回、ドイツ物を「あえて」プログラムから外している。
私はドイツに留学していた訳だから、ちょっと意外に思われるかもしれない。
もちろん、このリサイタルを境に「ドイツものとはおさらばします」というつもりは、毛頭ない。(笑)

「共通するもの」として、ドイツが生んだ偉大な、有名な作曲家の存在が隠されていると思う。
誰もが知る人。
私だけでなく、おそらく今回登場する作曲家も意識したであろう人。

その、「彼」との関係は?
その「彼」を、作曲家たちはどんな風に見ていた?
なおかつ、それをどんな風にしていった???

ちょっと、なぞかけをしておこうと思う。

いないはずの「彼」が、登場しないことで逆に「存在感」を表したら、
ちょっと面白いかな?なんて思っている。

それでは、また!

仲村真貴子
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