ぴあののはじめかた10

こんにちは。仲村真貴子です。

「和声の感覚を鍛えること…」

前回のペダル道の講義でこんなことを書いておいて。

果たして我は、
いかにして和声の感覚を鍛えたのじゃろうか…??

そんなことを思いました。

教科書っぽいことを言えばですねー、
音楽の三要素って

  • リズム
  • メロディー
  • ハーモニー

なんですよ。

(ちなみに「音の三要素」は
「音量」「音程」「音色」らしい。
あんまり考えたこと、なかった。)

そんな訳で
この「和声の感覚」ってのは
「ハーモニー」に値するかと。
重要でしょ?

実は音楽を専門的に学ぶ場所…
つまりは音楽科のある高校とか
いわゆる音楽大学には
「和声法」を学ぶ授業があります。

和声って規則とかパターン、
あるいはそれぞれの和音に「役割」
(…専門的には「機能」ともいう。)があって。
「この進行はダメ」
「この音程が美しい」
「このパターンの時はこの旋律が最適」
とか言う、ルールが存在する訳ですね。

基本的には、
バス(和音の一番低い音)が用意されていて
その上に和音を書いて行く。
高度なものになると
今度はソプラノ(和音の一番高い音:旋律)が
用意されていて
下に和音を書いていく。

ちょうど、「コラール」みたいなのが
出来上がる訳です。
これが四声体。

「パターン」の話をすると。
例えばベートーヴェンの「悲愴」の
2楽章の冒頭とか、
バッハの平均律の1巻の1番、
あの有名なヤツの冒頭は
いわゆる「最適配置」ってヤツで
同じ和声ならば
「この旋律が一番美しい」と言う
「パターン」です。決まってる。

…こんなの、覚えなくていいですからね。笑

例えば
3歳からピアノを始めたとして。

例の「和声法」を勉強するのが
高校か、大学…って
「遅すぎる」!!
…っと、思いませんか?

ちなみに私は
先回りして個人で習っていたので
大学の授業では課題だけ提出して
サボってましたが…笑
というか、
大学の和声の授業は正直つまらなすぎた。

要するに。

「理論」って「後付け」なんですよ。
「感じる」方が、先。

和声の感覚を鍛えるって言うのは
「感じる」を鍛える!
って、言いたい訳です。

例えばですねー。
Queenの「ボヘミアンラプソディー」。
フレディーが弾き歌いして。
“kill”っていう単語で
和音変わる訳ですよ。

…そうだよね。
“kill”って、強い単語だもんね…。

…なんて言う妄想を膨らませつつ
「あ。色合いが変わった。」
「響きが変わった。」
って思うのが「感じる」ってことですね。

もう一つ言えば、
3回目の「ママ〜〜〜」ってところで
「うわー、何か盛り上がってきた!」
みたいに「感じる」と思うんですが。
コレ、転調してるんですよね。
和声の色が変わっている、
青が緑に変わった!
みたいな感じかな。

ちなみに「和声」「和音」といえば
「コードネーム」があると思うんですが。
和音の色合いや種類の違いを感じるには
わかりやすくて便利。
いわゆる「和声法」の中では
表記できないものが表せる和音の種類もあります。

でも、
一番の違いは「コードネーム」って
その和音を「単体」では表せるんだけど
その和音の「役割」を表す機能は、
ないのよ。
と言うか逆に、
いわゆる「和声法」だと
「役割」を理論立てるためのものとも言える。

この「和音」が、
全体の中で、どんな役割を果たしているか。

まぁ、「起承転結」的なものを
ちゃんと理論立てられる、
と言うわけ。

それがわかると、
曲がどんな風に流れて、
どんな風に繋がっているかが
見えてくる、と言う訳ね。
そうすると、
ペダルが上手く使える…
と言うか、
本来はその流れをよくするために
ペダルを使う、と言うべきよね。

…前置きが長くなって話終わりそうだけど。笑

和声の感覚を鍛えるには。
旋律に和音を付けて弾いてみる。

…私がやった方法は、コレですね。

「私がやった方法」と言うか、
「そう言えばコレかぁ…」と言う感じなんだけども。

自分がピアノを習い始めた小さい頃を考えると、
そこそこ真面目に練習して
進みが速かった!と言うこと意外には
あまり英才教育的側面はなかったようにも
感じているんです。

「えー。
でも『ド〜ミドソっソっ』のソナチネ弾くのに
5年位かかるじゃん。」

って言ったら

「ブルクミュラー、幼稚園で終わってたじゃん。
普通はその後か、
ダブる位でソナチネやるんだよ。
アンタはABCとかラジリテーとか
なんか練習曲、余計にやってたから。」

…そうでした。
あんまり指回らなかったしね。
ソナチネは好きだったけど
3曲くらいでモーツァルトに移行したかな。

それはいいとして。

3歳よりピアノを始める。

4歳で当時芸大の大学院の学生の先生に
つき始める。

「5歳でピアノを『2つ』習い始める。」

…コレです。

はぁ??

って感じでしょ??笑

ピアノを「2人の先生」ではなくて
ピアノを「2つ」。

これが専門的に言う
「ソルフェージュ」ってヤツです。
音楽理論の実習。

運転免許を取るにも
技能と学科に分かれていて
それを想像していただけるとわかるかと。

ピアノを教える立場になると。
理論的なことも必要だな、
教えてあげたいな…
と思うことも多々あるのですが。
実際問題、それを含めると
とっても60分じゃ収まらないのが現実。
だから、細分化。
分業しよう!となった訳です。

5歳から。笑

でも、
音楽の上での「理論」って
不思議とやっぱり
「感じる」「気づく」ってことが先で
それを「理論」で裏付けて行く感じ。
理論が先行しすぎると、
取扱説明書とかマニュアルに終始してしまう。
「感情」を「理論」で裏付けていくと
表現に説得力が出てくる訳ですね。
何となく、想像着くかしら?

そこで、
無意識的に課題でやらされていたのが
短い旋律課題に
「いいから和音を付けて弾いてきて!」
と言うもの。

まず歌ってみて、
歌に伴奏だったか、
右手で旋律、左手で伴奏だったか、
なんか忘れたけどそんな感じで
ついでに「移調」もしてきてね!
…っていう、課題。

今考えると、結構スパルタじゃない?笑

ソルフェージュのレッスンは
45分のレッスンが月2回。
途中、他の先生と交代になったり…
東京に引っ越してからは
先生が「うちに」来たり
フランスに留学していて
「半年後に連絡ちょうだいね」とか
そんなこともあり
いろいろめちゃ不思議でしたが
5歳から20歳くらいまで
その先生に習いました。

最初についた頃は
ピアノの先生の「友達」と言うか紹介で
芸大の作曲科の学生だった訳です。
なんでも、
おそらく最初に「作曲科」だったのは
後々「指揮者」になるためで、
その後指揮科に入り直して
オペラとかオケの練習見せてもらったり
フランスに留学してレッスンが年に数回だったり
本当に不思議な感じで色々勉強させてもらいました。

お互いに歳を取って、
身長も体重も増えたね、と言う感じです。笑

「教える側」に立つと
「どこまで言うか?」と言うことを
悩んだり考えたりすることって
結構あるんですよね。

全部答えを言ってしまうと
自分で何もできなくなってしまう。
でも、
「気付き」を促すのは
忍耐が必要ですね、お互いに。

もう、ほんっっとにこの先生。
「何も言わない」感じだったんですよ。
特に最初の頃。

私、5歳ですよ?笑
まともに育つワケがない。笑

例の旋律に和音を付ける、
伴奏を付ける課題。

「合う和音考えて弾いてきてね。」
以上!!ですからね。笑
例題とか、ナシ。
いいからやってきてね!っていう。

それで。

レッスン中に
なんかちょっと変なところとかあると
「そこ…」
って言葉がボソっと飛んでくる。

その後、10分沈黙…

あんまりにポカンとしてると
「この曲、4分の4拍子でしょ?」
みたいなヒントがようやく与えられる。

もう1回言いますね。

私。5歳ですよ!笑

そんな感じで、
ひたすら自分で
「考えて、やってみて
答えを出してね!」
という感じ。

課題自体は楽しかったけど
沈黙の行でレッスンは結構大変でした。笑

経験上、作曲家とか指揮科って
「教えてあげてもいいけど
自分でやった方がためになるよ。」
みたいなタイプが多くてですねー。
何それ?ケチじゃん?
とか、内心思ったりもするんだけども…。

まぁ。
そうだよね。

ペダルと和声感覚を鍛えるには。

  • 旋律に「自分で」和声を付けてみること
  • バッハのコラール集を片っ端から弾くこと

2つ目の謎のスパルタのヤツは
割と最近やっていたもの。
これも別の棒を振る人からの入れ知恵でしたが
「いいからやれ!」
みたいな感じで、ひたすら実践。
コレも、非常に効果的だと思います。

まずは自分で弾いてみて。

そこで
「どんな感じがするのか?」を
自分の言葉で伝えられるようになると
上手になってくると思うのよね。

人って、「感じる」のが先。

「欲しい!」とか
「好き!」とか
「キライ!」とか。

その後に
理論を言葉で表すのよ。

コレって音楽の話ではなくて。
万事に通づる話なのよねー。
コレだから音楽ってすごいのよ。うふ。

それでは、また!
仲村真貴子