11月22日 リサイタルに寄せて 〜その20 「スポーツと音楽」〜

こんばんは。仲村真貴子です。

…ラグビーW杯、対南アフリカ戦が終わって、これを書いている。
怖くて見れなかったよ…と言うのが正直なところだけど、経過を気にしつつ、最後の5分、ノーサイドの時は気付いたら泣いていた。

なぜならば、勝っている南アフリカも最後まで本気だったから。

相手が南アフリカだったこともあって、私はサッカーW杯南アフリカ大会とその記憶を重ねていた。

決勝トーナメントの1回戦。
パラグアイに敗れた試合…。
あの時も、気付いたら泣いていた。

紙一重の「本当に後もう少し」で、結果がついて来なかった時。
頑張ったんだから、出し切ったんだから、「いいじゃない」と思える時と、
これだけ頑張ったのに、出し切ったのに、「ダメだった」と思う時。
この感覚は、非常に近いようでいて、雲泥の差がある…と感じるのは、自分の体感としてだろう。

私はスポーツの試合で負けても、
「頑張ったんだから、いいじゃない?」と言いたいタイプ。
それは、自分に言ってあげたい言葉だから。
そして、「結果」を求める上では、その言葉が何の意味も持たないことを知っている。

スポーツを見て人が感動するのは、勝ち負けではない。
その「ひたむきさによって」だと思う。
ひたむきさを持ってしても、「負けるかもしれない」「やっぱり結果が欲しい…」そんなせめぎ合いや、葛藤が歴史になって、長い時間をかけて続いて、やっと何かに繋がるのだろう。たくさんの人々の想いと共に。

では、人は「音楽の何に感動する??」

美しさ??
華麗なテクニック??
超絶技巧??
…美貌??(笑)

愚直なまでのひたむきさや、一生懸命さは、美しさで魅了する音楽とは相反するモノ…と長い間思ってきた。だから、無様なまでの一所懸命さよりも、華麗に美しく見える、速くて強いモノ、揺るぎないほどまでに強固なものが欲しかった。ショパンを「美しく」弾くならば、そう言ったものが必要だし、未だに手に入らない…と思っていた。

でも、待って。

ショパンが、本当に「美しさ」や「華麗さ」を求めた人だった??
速くて強いもの、固いものを持っていた??

ショパンは、その病弱な体でひたむきに生きた人。
ある面では、美しさとか華麗とか、洒落臭いことを言っている余裕はなかったはずだ。もしもあったとするなら、夢であったり、逃避であったり、欲しくても手に入らない憧れからではないか。だとしたら、その美しさや華麗さは、相当に生々しい。偉大な作曲家はクレイジーな面はあると思う。でも、何にクレイジーだったか?と言えば、「愚直なまでのひたむきさ」。

ひたむきすぎて、クレイジー。
クレイジーすぎるほどの、ひたむき。
…まぁ、どっちでもいいや。(笑)

音楽がの「何が」人を魅了するか?って???

私なら「ひたむきさ」って答える。

それでは、また!

仲村真貴子
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