「ミサソレ」と、それにまつわる話〜その5〜

こんにちは。仲村真貴子です。

ミサソレの難しさ。

合唱と、
ソロと、
オケが
全部合わさって1つ。
…というところかな。

構成として、
例えばアリアはないし。

合唱のパートだけ見ても、
ソロのパートだけ見ても、
楽器だけ見ても、
イマイチよくわからない。

コレが、
編曲されたピアノパートを
弾いていて思ったこと。

もしもコレが例えば
モーツァルトならば。
メロディーラインを追いかければ
結構イケてしまう面もあるけれど、
ベートーヴェンは、そうはいかない。

「歌の曲に難がある」
と言われるベートーヴェンは、
歌うのが難しいから、
「歌うこと」を返って諦めてしまうような
気がします。

それに。
歌だけでもダメ、
ということも言える。

曲の「この部分」とか、
このパートとか、楽器とかの一部分に
囚われ過ぎると、
なにやってるかわからない。

そこが、
本当の意味でベートーヴェンの
難しいところかも知れません。

「ミサソレ」とか
「世界観」みたいな
得体の知れないものがデカすぎて、
何かずっと得体が知れない。(笑)

聴く側としたら、
スピリチュアルスポットに行って
何かわからないけど何か感じるとか、
宗教心とかないけど、
外国の教会や、神社で何か感じるとか。
「神聖なるもの」でいいかも知れない。

けれど、
やる側からしたらそれは
「結果論」で。
よくわからない世界を表現するには
意外に現実的な積み重ねが必要。

ピアノソナタを1曲弾くとして、
1曲だけ知っててもダメだ!
ってことかな。

音楽と「それ以外」
一部と「全部」
この世と「あの世」
人と「自然」

みたいな、
ベートーヴェンの中には
相対するものが
両方必要に思います。

…何かそれって、
世の中の全てを知れ!
って話か?!

それでは、また!
仲村真貴子



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