おうたのおはなし8〜「合わせる」っていうこと?〜

こんにちは。仲村真貴子です。

…伴奏合わせの練習、稽古は
習慣的に「合わせ」と言ってしまうけど。

ドイツ語ではProbeプローべ。
練習はÜbenというので
Probeだと「稽古」って感じかな。

そこで本日のお題は
「合わせ」と言って
「合わせているのか?」
という話ですね。はい。

まぁ、当たらずとも遠からず。

「合わせて」いる、とは思いますね。
だって一緒に音出してるし。
ズレズレだったら、困っちゃうし。笑
リアルカエルの合唱の、
全然合ってないやつ!
とかだったら、やっぱりちとマズイ。

でも、
じゃあピッタリ「合わせる」感覚が
あるか?!
と言えば、
私はあんまりないですね。
「ない」っていうよりも、
あんまり「考えてない」って感じ。

池でお互いに自由に泳ぐ感覚とか、
道路で白線からはみ出なければ
まぁどこ走ってもいいかな?
みたいな…
その意味では私は
結構「いい加減」かもしれません。笑
だって楽しくないじゃん?

まぁ、その匙加減を感じ取るのが
「合わせ」の時間、
要するに練習の時間ですね。
一緒にやる稽古。

様々なことがオンラインで可能になっているけれど、
どうにもオンラインで成立しないのが
この時間。

それは「合わせ」という時間で
やっていることが
「合わせること」ではないからです。

もちろん、
「ここはバッチリ合わせたい」
「ちゃんと決めたい」
みたいなポイントはあって、
そこの確認をするのも、この時間。
「ポイント」というのは、
例えば歌い手が高音を出す場所だったり、
ピアノが難しかったり、
リズムがトリッキーでズレると本当に危険な場所。
合っているのにズレているように感じる場所とか、
一緒にやってみたら意外と怖かったとか、
そういった発見やすり合わせも
時間と空間を共にすることならではのこと。

「合わせる」というと
点とかポイントを「点」で合わせる感覚。
音楽は「点」というよりも
「流れて」いるもの。
特に「歌」って息を使うものだし、
息の流れが、
母音のつながりが、
ラインが乗っかるように…
みたいな、「うねるもの」を連想するのが多い。

「ピアノ」というのは
物理的には息を使わずに音が出せてしまうので
1人で弾いているとやっぱり
息を忘れてしまうような部分があります。
合わせをする前は、
テンポが上がり気味、
要するに速めに弾いていることが多いですね。
これは半分わざと、というか
クセ、というか
ちょっと微妙なところですが…。
全体を見通すには
ゆっくり過ぎると
文字通り「木を見て森を見ず」になってしまうし、
早く弾けるようになりたい!
と思うと、
いつの間にか速くなっている…
という感じ。
自分としては、
速めのものをテンポを落として
落ち着かせる方が
うまく行く感覚は、あります。
すでに弾けるようになっていたら
落ち着けるし。

まぁ、歌い手とやるときは
「自分、速めかなぁ?」と思い、
楽器の人とやるときは
「あれ?遅めかなぁ?」
と思うことが多い感じがするけど。笑

「テンポ」と言えば
非常に曖昧で重要な要素。
「心地よさってなに?」
っていう問いに答えがないのと同じで
「テンポ」に正解とか、ない。
究極、心地よければ何でもいいと思うんだけど、
「心地よさって何だろう?」
みたいな話になってくる。

「正解がない」とは言いながら、
やっぱりいろんなものがうまくハマる、
いろんな条件が揃ってくるような感覚がある
「テンポ」ってあるもので
それを掴むのは早い方がいいな…とは思います。

ただ、人と一緒にやるときは当然、
人が違えば同じ曲でも全く違うテンポ!!
ということは、ザラにあります。
ザラにある、っていうか
当たり前。笑
だって、違う人だし。

その違いを楽しめるか。
「私ならこうするけど、
これもいいね。」
と、思えるか。
その辺りは、結構肝ですね。

その上で、もう一仕事。

歌い手とか楽器の人が
「ここ、こうしたい」とか
「あ、そこ、そうするのね」
みたいな部分があったら。

あ、じゃあ私がこうしたら
多分もっとうまく行くかな??

みたいな細工を施します。
人知れず。
言わずに弾いて、
内心ドヤ顔するヤツw

あるいは、
逆に煽っちゃおっかなー。
みたいなことも。
多様はしませんが、たまにやります。笑
ピアニストは簡単に歌い手を殺せるのでね。
お命はお預かりしております。笑

…いろいろ書いたけども、
この「人と一緒に演奏」っていうのが
今のところ一番リモートで成立しない…
と思っていること。

それは、編集や機能云々ではなくて
時間と空気を共有するものだから。
「やっぱり一緒にやってみると、違うね」
というのが、
ベタだけど正直な感想です。

「合わせること」ならば、
もしかしたら機械で編集の方が
うまくかも知れない。
でも、美味しい部分は
そこではない訳で。

スリリングなもの。
危ういもの。
何が起こるかわからないもの。

物理的に
「時間と空間を共有」とはいかないものの、
イメージとしてそんなものを持ち続けられたら、
そんなものが伝わったらいいな…
なんて思いつつ
1月13日の本番に備えるとします。

それでは、また!
仲村真貴子