11月22日 リサイタルに寄せて 〜その24「ふくろうとエジプト」〜

こんばんは。仲村真貴子です。

…夜のふくろうがどうの、という話を散々書きましたが。

知恵の象徴か、邪悪な象徴か、結構注目の的のようですね、ふくろうちゃん。
でも私、取り立てて「ふくろうが大好き!」という訳ではありません。(笑)

ギリシャでは知恵の象徴、
ローマでも「哲学の神」「知恵の守り」、一方で魔女の使いで死の象徴なんて記述もあり、
中国では来世の案内者。
エジプトでは”異界のコミュニケーションがとれるとされ「神秘の聖霊」と言われています。そんなフクロウは危険を予知できる予言者”。
ふくろうに魅せられた芸術家も、多くいるそう。

…そう言えば、エジプトの曲弾くんだった…。(笑)

ヴェルディが作曲したオペラ「アイーダ」は、エジプトが舞台なことで有名ですよね。しかも、「ファラオの時代」という設定。
「あぁ、エジプトって、こんな感じだよね。」
…と想像する時代のエジプトそのもの!という気がします。

”「スエズ運河の開通を記念して…」と言われているけれど、実はエジプトの総督からのその依頼を断っている。実際には1870年の春、スエズ運河も開通し、オペラ劇場も会場した後、エジプトの総督が、当時のパリ・オペラ座の支配人を通じて「祝賀のための小品」ではなく、「エジプトを舞台にしたオペラ」の新作を依頼している。

実際のところ、エジプトの総督・イスマイール・パシャは、ヴェルディの音楽そのものが好きだったというよりも、ヨーロッパの大作曲家によるエジプトが舞台のオペラを、自身が統治するカイロのオペラ劇場で上演したいという、夢と希望があった。エジプトの総督・イスマール・パシャは、パリ・オペラ座の支配人・カミーユ・デュ・ロクルに、「ヴェルディが断ったら、依頼先をグノーやワーグナーに変更してもいい」という手紙を送っていたようだ。もっとも、ワーグナーの名前を出したのは、当時ライバル関係にあったヴェルディの創作意欲を刺激するための、デュ・ロクルの策略だったかもしれない。デュ・ロクルは台本作家でもあり、「アイーダ」の台本にも関与している。「愛と法」「国家と個人」それぞれが描かれている台本に、ヴェルディは興味をそそられたようだ。

着想から5ヶ月(台本初回受領からは4ヶ月)という、異例の速さで書き上げられたこの作品には、「アイーダ」のような重厚で壮大なオペラに対するヴェルディの意気込みが感じられる。(Wikipediaより引用・改訂)”

…なかなかツッコミどころ満載、オペラが一本出来上がる前に、その経緯だけでオペラが一本できそうな…。

現代にも通づる話、あるいは今日ではもっとシビアな問題かもしれませんが、
「オペラには、大きな力が関わる」という、事実。
それを、「アイーダ」作曲の経緯でも感じました。
祝祭のため、と言われれば「まぁ、そうか。」とも思うけれど、
「統治する劇場への夢と希望…。」。
ちょっと面白いし、悪くはないけれど、そういう人がいないと成り立たないものではあるな…と。そう考えると、複雑な心境にはなりますね、正直。
オペラと言えば、壮大で豪華なもの、しかも「アイーダ」と言えばその象徴であるかのような作品。それが魅力で憧れるのは、本当によくわかるけれど、如何せんお金がかかりすぎる…という現実は、作品の成り立ちからも考えさせられるかな、と。

…そこで、リストの編曲作品のような物が、特別な魅力を持って、貴重な役割を果たすのかもしれません。

エジプトの象形文字・ヒエログリフでは、まきこの”M”はふくろうで表されるようです。
「アイーダ」にまつわる話、続きます。

それでは、また!

仲村真貴子
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