CD制作後記②

こんにちは。仲村真貴子です。

「このCD制作は、
私にとって何だった??」

と訊かれたら。

「ギャンブル。」

と答えますね。(笑)
即答。

…コレって、
「CDを通じて伝えたいこと」
ではなくて、
私の制作にかけた意気込みとか
覚悟みたいなもの。

CDを手に取って下さった方に
「見よ!!ワタクシのギャンブル!!」
という意味では、
全くないです。(笑)

「音楽家になるのに
必要なものは、何か?」

という質問に、

「運命と、
運命づけられたもの。
そう生まれているか、どうか。」

と答えたのは、
マスター・ヨーダ、Ramirez。

意外にスピリチュアルで、
それでいて残酷な答えに、
私は呑気に

「私にもそんなものが
あったらよかった…。」

とか思ったのでした。

白状すれば、
今までの人生の大半は
いわば誰かに守られて
音楽をしてきた訳で。

そのありがたさとともに
「ねぇ、コレでいい??」
と、誰かにお伺いを立てることも
忘れなかった。

…果たしていつまで守られて
いつまでお伺いを立てるのか…。

ピアニストなんて
舞台に1人で出て行って
1人で音を出す訳で、
それ自体が自己責任を賭けた
「ギャンブル」
であるとも言える。
お伺いを立てる暇はないし、
誰も責任を取ってはくれないし、
責任を取って欲しい訳でもない。

要するに。
自分自身が
自分自身に
「賭けをしてみたくなった」
ということ。

…上等でしょ?

だから
「いいものができました」
と自分で言えることは
やっぱり「自信」になった。

それ相当に
危険な時期もあったからかもしれない。

だから
「自信」になった。
「思い上がり」ではなく、
自分の内側が、
満ちてくるような感覚の。

じゃあ、
このCDで伝えたいことは…??

と訊かれたら。

実はコレは、
「今になってわかってきていること」
と答えると思う。

ただひたすらに、
「自分」で
「いいな」「好きだな」
と思うものを
選んで
決めて
賭けてきたけれど、
最初から強烈な完成像を
思い描いていた訳ではなかった。

大体、ショパン弾くなんて
思ってなかったし。(笑)

本人からしたら、
ただ必死。

でも、
「一生懸命」なところから
「何か」が出てきたなら
いいな…
とは思っていた。

頂いた感想から
「あぁ、私の言いたいことは
コレだった。」
「私の成分は、コレなんだ…」
と思うことがあって、
ありがたさとともに
おもしろい。

このリサイタルのプログラムに限らず
何となくプログラムを作ってみると
「晩年」「後期」の作品が
含まれることが多いことには
気付いている。

「死生観」なんて言ってしまうと
少々重過ぎるから全面には出していないけど
そんなところも、
ひょっとしたら
あるかもしれない。

…というよりも。

「相反するものの融合」
とでもいうべきかしら。

師匠・Pistoriusが
ピアノのペダルの話で

「濁るところと
濁らないところ。
その『境目』が
いちばん美しい。

けれど、それを教えることは
できない。」

と言っていた。

「境目」とは
いつも真半分とは限らない訳で、
その匙加減は
自分で見つけるものだ、って。

今にしてみれば。
コレって人生の真理じゃない??!!

「相反するものの融合は
癒しを生み出す」

…とでも言ったら、
少々わかりにくいか。(笑)

けれど、
一見難解だったり、
重苦しく見えるものを
真面目に触れつつ
ちょっと楽しんで笑ってもらう…

というのは、
もしかしたら
ちょっとした私の願い、
かもしれない。

その意味で。

音楽はやっぱり、
ウソをつかない。

きっとね。

それでは、また!
仲村真貴子

Photo by Taira Tairadate

CD詳細についてはコチラ
お世話になった村中大祐さんより