こんばんは。仲村真貴子です。
小さい頃から、暗譜に関してはそれほど苦手意識がなかった。
「暗譜するくらい、真面目に練習していました。」
…と言えば聞こえはいいけど、自分の感覚としては、ちょっと違うかな。
「本番では、目をつぶっても弾けるように。
暗譜がわからなくなっても、手が自動的に行くように。」
…なんてことも言われたけど、正しいか?というと、ちょっと違うような気もするかな。
暗譜の心配も無く、
テクニックや体の動きの心配も無く、
音楽が自然に流れてあふれ出てくる…というのが理想ではあると思うけど。
そもそも、暗譜を体の使い方や動き方に頼るのは、危険だと思う。
ここ数年、どういう訳だかこの暑い盛りにスクリャービンを弾く流れになっている。暑いのにスクリャービンなんて暑苦しい!と思うのだけど、「他に弾けるもの、ないの?」と訊かれると、ナゼだかスクリャービンの名前が挙がる。
そんな訳で、スクリャービンの3番のソナタのコピー譜が謎に大量に存在する。
ドイツにいたときも、同じ流れでスクリャービンを弾くことになり、日本から手持ちの楽譜を持ってきていなかった私は、学校の図書館でコピーして使っていた。日本での楽譜は、特にスクリャービンは使う気がなかったし…、持っていかなかったということは、当時あまり弾く気もなかったんだと思う。(笑)実はPetersの楽譜は1楽章の1ページ目に明らかな誤植があって、確認のためにベーレンライターも見ていた。それぞれ3部くらいずつコピーがある。
恥ずかしい話、スクリャービン位に音が多くなると、見返す度に譜読みの間違いが見つかる。毎回、ドビックリな間違いがあるのをすり抜けて、本番で弾いてしまうとか。(苦笑)最近は、前にやった曲でも書き込みがない、まっさらな楽譜が欲しくて、ネットのお世話になっている。便利な時代に、プリンタの黒インクだけが恐ろしい速さで空になる。
まぁ。ベーレンの楽譜。あまり書き込みがないし。音はPetersよりも確かなはずだし。
これでやるかな…。
…と思ったのだけど。
何かうまく弾けない。進んでいかない。
以前、スクリャービンを本番で弾いた次の日に、どういう訳かRamirezと暗譜の話になった。
「楽譜を、カメラで追うような感じで弾いてると思う。あ、今ページめくったところ。角の上の方。右下の方が難しいんだよね…とか、そんな感じ。(笑)」
「それ、自分も同じ。」
「だから、楽譜が違うと、全然弾けなくなったりする。」
「ちょっと、わかるかも。」
暗譜とは、そもそも音を覚えるとか暗記することではなくて、楽譜を把握すること。楽譜を把握する…ということは、その曲の構造を見ていて、例えば第2主題が3段目から、とか、めくったページのアタマからテンポが変わるとか、結構そんな感じで覚えている。それが、Petersは割とわかりやすくて、すでにそれで記憶されてしまっているし、ベーレンだと楽譜そのものはキレイだけれど、譜割が思っているのと違ってちょっと混乱する。そして、今回も楽譜はネットのお世話になることにした。
久し振りに弾く曲で気付く、暗譜と楽譜の関係。
…というよりも、視覚と記憶の関係とか、自分がどうやって物を考えているか?とか。
そんなことを考えるのも、音楽の面白さ、真髄の1つかもしれません。
それでは、また!
仲村真貴子
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