外国にまつわる、よもやま話16〜コンクールとイタリア〜

こんにちは。仲村真貴子です。

ドイツに行った当初は
「結果が伴う本番」に
心底疲れていましたが。

修士課程を終えて
ソリスト科に入った頃。

自分の身の回りの様子が分かるのに
2年ほどかかるとして、
そこを過ぎると
ぼちぼち「外」にも行きたくなるもの。

「結果」を気にして
本番をやる「恐れ」から解放されるには
学内の本番は十分だったけれど、
次第に、それだけでは足りない!
と思うのも、
人間の性かもしれません。

そこまで考えなくても
「結果が伴う本番」と言う類は
年齢制限が着いて回ることが多い。
「今」しかない!と言う焦りも
やっぱりあったかな。

あるいは、
音楽をやるにあたっては
「記録」より「記憶」に残るものを…
とか思うけど、
「記録」も「記憶」も欲しいじゃんねぇ。
とか思ったかもしれない。

…そんな訳で、
「コンクール」です。

コンクールについては
サイトで調べたり、
行ってきた人から情報を得たり、
人の履歴書を調べたり(笑)、
歴代の入賞者に日本人はいるのか、
審査員はだれか、
曲は?
日程は???
いろいろ調べましたね…。

あとは、
行きたい場所に行こう!
って言う。(笑)

私の師匠Pistoriusは
コンクールに関しては
賛成も反対もしない、と言う立場で
行きたければ行けば?と言うスタンス。
その代わり、
ちゃんと用意して、
ちゃんと弾いてね、と言う。

「音楽」と言うものを
本当に大事!と思う感じでしたね。

古き佳き時代の巨匠タイプ、
と言うか。

それはそれで、
本当によかったし、
ありがたかった…
と、心から思うのですが。

「コンクール」と言う、
作戦や情報が欲しい、
と思ってしまうと
他の人が羨ましいことも
正直ありました。

多分、
師匠はそういった「作戦」や「情報」から
ある意味離れて欲しかったのだと思いますね。
私が必要以上に振り回されることを
知っていたから。
そして、
それは音楽の大切な部分とは
違ってくるから。

「コンクール」を狙う人は、
本当に、行けるだけ行く人、
コンクール旅行をする人は多い。

コンクール大国イタリアは
コンクールだけで隅々まで旅行が
出来てしまうほどに
たくさんのコンクールがあります。
賞金狙いのロシア人の出場者もいる。

実は私、
イタリアに留学するのもいいな…
と思った時期があって。

日本にいた時は、
ドイツ語よりもイタリア語の方が
得意だった。

日本でお世話になった西川先生は
イタリア、しかもローマで勉強された方で
イタリア行ったら、
こんな感じになるのか、
いいなー…なんて。

それまで習った方には
ドイツで勉強された方が多く、
ドイツの方が「生活する」イメージが
なんとなくあったから…
と言うのが、
結局ドイツに行った理由かもしれませんね。

イタリアに行ったら。
オペラに行って、
サッカー観に行って、
Barで飲んで、
たまに財布無くして…
…えーと、ピアノはいつ弾くんだ?!
って言う生活かな?
と言う。(笑)

…それも
悪くなかったかもしれない。

「…え、実際ドイツに行って
何か違いはあるの、まっきんこ??!」

…えーと、
甘んじてその言葉を
受け入れるとします。(笑)

結局のところ
直接的にイタリア人の
レッスンを受けたことはなく、
いつの間にか「イタリア」と言う場所は
「コンクール」で行く場所に。

だから、
残念ながらなかなか
いいところが見られず、
「疲弊して帰ってくる場所」
になってしまった。

イタリアで、
「イタリアン以外が食べたい!」
とか思ってしまったら、
悲劇ですからね。(笑)

…とは言っても、
実際には
「全てを投げ打ってコンクールに!」
と言うタイプでもなく、
学校で得るものも多かった。

本当の本当のところは、
賞が喉から手が出るほど欲しかった…
とは言い難い気がしますね。
それと、
「結果のための本番」の
不健康さや疲れは根深かったはず。

本番の機会は欲しかったし、
1つだけ言えるのは
「オーケストラとのコンチェルトの機会」
を求めたこと。

ソリスト科に残ったのも
それが大きな理由だったりする。

最後の演奏会が
オーケストラとの協奏曲なので
「好きな曲!」とは言わないまでも、
試験では3曲用意するので。

コンクールの数自体の経験は
それほど多くはありませんが、
コンクールそのものよりも
その「場所」とか
ホームステイなんかの方が
ずっと記憶にありますね。

行きたくて行った
イタリア・サルデーニャ島では
食べ物が本当に美味しかった!
サルデーニャのワインって、
安くても美味しい…と思うので
多分、好きみたい。

学校の音楽室みたいな場所で
25分と45分のプログラムを演奏。
結構ガチでハード、
悔いはないけれどファイナルに残れなくて
意外と悔しかったのか
ファイナルを聴いた後に
悪夢にうなされました。(笑)
寝ようとすると、
首を絞め続けられる…って言う。
美味しいご飯とお酒と、
悪夢が思い出。(苦笑)

その他、
リヨンの超豪邸にホームステイして、
2歳児とネコと遊んだ思い出、
毎食お手伝いさんが料理を作ってくれる、
カエルも食べた!とか、
イタリアのバーリ(南の方)に
ホームステイして、
その間とんでもない豪雨だった。(笑)
太陽光発電でお湯は使えない、
あのブッラータチーズをしこたま買って帰る、
アーヘンに行った時は扁桃炎のなりかけ。

曲が完成していないのはわかっていたけど、
無理して強行突破したことも
あったな…

コンクールよりも
「それにまつわる」思い出。
もう1つは、次回に。

それでは、また!
仲村真貴子

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