「ミサソレ」と、それにまつわる話〜その4〜

こんにちは。仲村真貴子です。

「ミサソレ」と、それにまつわる話。

実のところ、
音楽家が「音楽」を語るのって
結構怖いんですよね。

え、そんなこと言って!
いい加減なこと言い上がって!
…で、弾けるの??

みたいになりそうで。

しかも、
ベートーヴェン。

いくらでも批判されそう
…っていう。

でも、
自分が実際に弾く「ピアノ」から
違う編成の作品を聴いたり、
関わったりすると
また感じ方が違うので。
そんなことを書こうかと思いつつ。

この「ミサ・ソレムニス」。
もう大変な大曲ですよね。
長いし。
音取るの、大変だし。
みんな、大変だと思います。
ソリストも。オケも。合唱も。

練習の時のオケパートは
ピアノ用に編曲されたものを弾いていますが。
音がありすぎても、
音がなさすぎても、
うまくいかない!
…という、難しさが。

フーガとか、
多分一人でピアノで弾くのもかなり大変。
でも、ある意味バッハよりも簡素かな。

ただ、
意外にベートーヴェンって、
音が予想外。

突然飛んだり、
意外な臨時記号が登場したり。
合っているのに、
間違っているように聴こえたり。

フーガって、
個人的にすごく好きですね。
試しに「フーガ」ってググったら、
日産車ばかりが出てきたけれど。(笑)

小さい頃から割と弾いていたバッハで
バッハと言えば、フーガ。

主旋律があって、
対旋律があって、
繋ぎがあって、
たまに主旋律が
倍に伸びたり、
半分に縮んだり、
逆さになったり…
みたいな話が好きでしたね。

3声でも4声でも、
「人が4人いるように」
「他の人が、何をやっているかわかるように」
なんて言われて。
…それを、自身が本当に体感したのは
バッハのロ短調ミサを「歌った」ときでした。

ベートーヴェンのフーガは
前述の通りバッハよりある意味簡素だけれど。
他の人が何をやっているのか、
本当にちゃんと知らないといけない。
…そんな気がしました。

「フーガである喜び」

ドイツに行くよりも前に、
ドイツで教授をされていた先生が
レクチャーでおっしゃっていた言葉。
曲は確か、作品101。
ピアノソナタの28番だったかな。

後期の作品にフーガが多用されているのは
ある意味モーツァルトとも似ているし、
対位法的という意味では
意外にショパンなんかもそう。

でも、
「フーガである喜び」。

その言い回しに、
当時の私はヨーロッパ的な感覚を感じ、
またどういう訳かちょっと気恥ずかしくなりました。

え、フーガって、
なにそれおいしいの??
違った、
なにそれ楽しいの???

けれど、
その感覚が、
ちょっとわかった気がしたのが
今回のミサソレ。

字幕を出す側だったから…
というのもあるけれど。

この曲の中では
フーガがいくつも登場するけれど、
その全てがポジティヴなもので
「喜び」とか
「栄光」とか
そんなものを表現するもの。
何か輝かしいものとか、
光を浴びるような、
それでいてどこか清められるような。

ピアノソナタの作品109、110なんかも、
「第9」に登場するフーガも。
だからこそ
「フーガである喜び」。

と、いうよりも。
フーガというものが、
ベートーヴェンにとっての
喜びの表現。

そんな気がしました。

あくまで、
私の「感覚」なので、
あしからず!

それでは、また!
仲村真貴子



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