11月22日 リサイタルに寄せて 〜その26 「作曲家から学ぶこと」〜

こんばんは。仲村真貴子です。

ヴェルディVSワーグナー。

この二人のライバル意識じみたものは、作風よりもむしろ音楽家としての「生き方の違い」にあるように思う。
そこから、今日の私たちのような音楽家が考えるべき、学ぶべきものは多い。

ヴェルディは、私の印象では
「お金に苦労しない人」「ヒット作を連発した人」
という印象があったが、「ナブッコ」で成功を収めるまでは金銭的にも、音楽的な評価の面でも大変に苦労した人だったようだ。私が「お金に苦労しない人」と思ったのは、彼が苦労した経験があったから、その経験を糧にした物であったらしい。

ヴェルディは、農場を経営するなど、優れた「ビジネスマン」としての顔を持っていた。

…これには、驚き。

音楽家といえば、お金に苦労する職業。
あるいは、パトロンやスポンサーを探す職業。

ワーグナーと言えば、やはり「ルートヴィヒ2世」。
言わずと知れた、パトロンである。
それから、自らの作品専用の劇場を持つなど、自分が得たお金は「自分のために」つぎ込んだ。小さい頃から音楽に理解のある家庭で作曲法を学ぶなど、恵まれた環境にあったのはワーグナーの方であるらしい。自身のオペラの中に登場する女性像に「救済」や「愛への渇望」が描かれているのは、もちろん自身の経験に基づくもの。

作品へのこだわりという点では、独自の強いこだわりがあってこその偉大な作曲家だが、その「こだわるところ」が違っている。
ワーグナーは、台本まで自作するというこだわり。
ヴェルディももちろん台本に口出しや脚色することはあったようだが、それよりも劇場や出版社、報酬の受け取り方に至るまで交渉を人任せにせず、人一倍気を遣っていたようだ。そして、そこで得た報酬で農場を経営したり、劇場建設に寄付したり、「憩いの家」のような施設を建てたり「人のために」お金を遣った人だった。

ヴェルディとワーグナーと言えば、作風や評価、周囲を巻き込んでのライバル意識などに興味があって調べたはずが、意外なところで出てきた、彼らの「生き様の違い」。彼らのオペラに登場する女性像は、自身の経験に基づく…という共通点はゴシップ的な意味で面白いけれど、音楽家としての生き様の違いはそれよりも奥深く、生々しい。

得た報酬を自分のためだけに遣うのか、
人のために遣うのか、
人を頼りにして、依存して音楽をしていくのか、
あるいは、
自身で何かを生み出して活動していくのか、
音楽と「それ以外」を持っていけるのか。

音楽家とは「音楽だけで生活している人のこと」というイメージを持ってきたし、それが成功の形であると長い間思ってきた。でも、音楽家が音楽だけをしていればいい時代は、既に終わっている。それは、おそらく言い訳ではないはずだ。

私は昨日その訃報を読んだとき、あまりの驚きに立ちすくんだまま、しばらくはものも言えずにいました。我々は偉大な人物を失ったのです!彼の名前は芸術の歴史にもっとも巨大な存在として残ることでしょう!
— ジュゼッペ・ヴェルディ、1883年2月14日付のミラノの楽譜出版社に宛てた手紙

Wikipediaより ワーグナーの訃報に寄せて

直接的に相対することがなかった同い年の偉大な作曲家が残してくれたものは、偉大で魅力的な作品たちだけではない。

「生き様そのもの」

そこから今日の私たちが考えるべき、学ぶべきものもまた偉大であると思う。
彼らが魅力的に映るのは、「答えのない問い」に自分なりの答えを探し求めてきたからに他ならない。

それでは、また!

仲村真貴子
Facebook→https://www.facebook.com/MakikoNakamuraPianist/
twitter→@N_Makkinko
instagram→@makkinko_nakamura
お問い合わせはコチラ→mail@makikonakamura.com