競争すること

こんばんは。仲村真貴子です。

久し振りに大学の同級生の演奏を聴き、そこでまた別の同級生と再会し、楽しい時間を過ごした。音大出身あるあるかもしれないけど、高校や大学に入る頃にはすでに顔や名前を知っている人も多い。個人的に知っていることもある。それは、学校に入る以前に、同じ先生や教室だったり、コンクールで会っていたりするから。だから、この年になって再会すると、なんだか同志のような気分になる。

でも、大学の頃には意外とお互いの演奏を知らないことも多い。試験のときは順番の都合で聴く余裕がないし、弾き合い会みたいなことは、私は好んでするタイプではなかった。手の内を明かしたくないとか、人の演奏を聴いて落ち込む自分が怖いとか、そんな理由だった気がする。劣等感か、意欲か、焦りか微妙なところだけど、ひたすら忙しかった記憶がある。何に忙しかったのか?は、イマイチよくわからないところもありつつ。

…多分、根底には「競争意識」みたいなものがあったのではないかと思う。
自分に無いものを持つ人が、羨ましくて、欲しくて。あるいは「持たなくてはいけない」と思って。
だからこそ、時間が経って、ほとぼりが冷めたら「同志」のような感覚になったけど。

大学を卒業しても、また別の「競争」が待っている感じがする。「仕事は?」「お金は?」「家族は?」…そう言った、「目に見えるもの」が人より上か下かで、どうにか自分を保とうとしているんじゃないかな。自分がそれを気にするか?というよりも、周りを見て焦るから。あるいは、そそのかされるから。そしてそれは、別に間違っている訳ではないから。

今日、会った友達が、
「留学で得たものは、外国の文化を学んだ、というよりも、『外国から日本を見られたこと』」と言っていた。その言葉に、心から同意するとともに、思ったことがコレだった。多くの人は、無意識のうちに「競争すること」に身を置いているし、多分そのことに気がつかない。気がついたところで、その止め方を知らない。

今現在、日本よりはるかに暑いらしいドイツに思いを馳せつつ、久し振りにRamirezがよく言ってた言葉を思い出した。「これから、どうしたらいい?」と訊く私に、彼はこう言った。

“Bleib Du.”

「自分でいること。」

「ありのまま」というよりも、「自分」でいること、という感じかな。自分に取って、本当に何が大事なのか、自分が何を持っているのか、よく考えることだよ…と。当時、呑気だった私は「イコール何もしないこと!」と思ったけど、その真意と重さをぼんやりと感じている。「マイペース」とか言われちゃうけど。(笑)

最後にドイツを訪れてから、ちょうど1年くらいになる。
私がそこで得たもが、本当の意味で価値を持つのは、もう少し先な気がする。
まぁ、速さを競う類のものでもないと信じつつ。
呑気かもしれないけど。

それでは、また!
仲村真貴子

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください