外国にまつわる、よもやま話13〜師匠にまつわる話〜

こんにちは。仲村真貴子です。

3歳からピアノを弾き始めて
今までお世話になった先生方も
結構な数になります。

大体、いろいろな事情で
着いたり離れたりするのが
7年くらいのスパン。

ドイツにいたのは6年なので
Pistoriusにも大体6年。
それなりに長いお付き合い、
もらうものはもらったかな、
きっと向こうは
全てお見通しだっただろうな…
と思いますね。

ブラームス、
ベートーヴェン、
ラヴェルと弾いて、
「ラヴェルがいちばんよかった」
と言った、入試での話。

意外な感想にびっくりして、
新しい感覚が嬉しいのと同時に、
今までの自分はどこに行くんだろう?
という不安もあったかな。

…そんな訳で。
しばらくショパン弾いてました。
日本じゃ怖くて弾けないし。
弾いてなかったし。
新しいものの方がきっと習えるかな?
とりあえず譜読みできるかな?
…みたいな理由で。(笑)

師匠はお父さんがピアニスト、
お母さんはどうだったかな?、
弟さんがヴァイオリニスト、
ロシア人の奥さんが歌い手。
結構、サラブレッドですね。

ご両親は私たちクラスの演奏会
いらしていたこともあって、
お会いしたこともあります。

「スクリャービンのソナタを弾くには
ベートーヴェンが…」

という解釈のヒントは、
実はPistoriusのお父上のコメントが
ヒントだったりする。

Pistoriusの出身は
旧東ドイツのプラウエンという、
チェコの近く、
あるいはツヴィッカウという
シューマンが生まれたところの近く。
まぁ、ハッキリ言ってど田舎です。(笑)
でもビールが美味しいところだった。(笑)
ライプツィヒとモスクワに学ぶという、
なるほど東ドイツ…
とか思います。

実は私は入試の時
旧東側は生活するのに自信がなくて
願書を出さなかったのですが。
ソ連時代に名だたる音楽家がたくさんいたのは
言うまでもなく…
そんな訳で、
恐れずに言えば共産圏に
ある種の偏見にも似た興味があったのだと。
その意味で師匠は
感覚としてはいわゆるヨーロッパ的でありながら
ロシアにも近い、
もっと言えばアジア人に近いものが
あったのかも?とは、
今にして思うことかな。

記録としてはよくわからないんですが(笑)、
確か師匠、
N響と共演していたり、
サントリーホールで弾いていたり
つまり来日しているらしいんですよね。
なんか、本人からは
全然「スゴイ人感」がないんですけど。(爆)

ちなみに、
「この体型で飛行機乗るのイヤだから
日本にも韓国にも行かないよ!」
だそうで。
生徒一同撃沈いたしました。(笑)

それはさておき、
レッスンでは
「”muss”とは言わない」
というのが口癖だった彼。

“muss”とはmüssen、
「〜しなければならない」という意味の
ドイツ語ですが、
要するに
「◯◯をしなさい、とは言わない」
という意味。

曲にしろ、
指遣いにしろ、
ペダルやテンポその他にしても
提案やアドバイスはするけど
「こうじゃなきゃダメ、
とは言わないよ」
という感じ。

まぁ、
オマエのアタマで考えろ!!
ってことなんですが。(笑)

だから、
よく聞く
「先生が怖くて怒られた」
「弾けなくて怒られた」
みたいなことは、なく。

あ、まぁ。
私、問題児だったので。(笑)

「暗譜しないとレッスンしない」とかは
たまに言われてたかな。
できることは、
できるところまでは、
自分でやりなさい!って。
こっちが言ったらできるのは
知ってるから。
もう、そんなのは求めてない、って。

あと、
「何でも早いよねー」ってイヤミ言われてた。
「譜読みも速いし、
弾くのも速いし、
本番に出すのも速い。
褒めてないからね。」って。(笑)

てへっ。

えーと、まぁ、そのー、
当時焦ってたんでしょうね。
場数こなさなきゃ、
習えるうちに習わなきゃ、
弾けるようにしなきゃ。って。

レッスンに行って、
演奏そのものについて
超怒られた!
とかは、本当にないんですが。
本気で怒られたことは
数回あります。

結構、意外な理由だったりする。

こうやって書いてみると
思い出話が尽きない…
続きは次回!

それでは、また!
仲村真貴子

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