「録音」「録画」に見えるもの

こんにちは。仲村真貴子です。

先日のFacebookライヴでも話題に出た
「録音」「録画」の話。

歌い手は、自分の声を「自分で」
聞くことができない…

と言う理由で、
レッスンなんかでも
「録音」するのを見るのは、
まぁ普通。

ピアノの場合。

レッスンに関しては
録音「する派」と「しない派」に
分かれると思いますね。

あるいは、
先生から「録音禁止」と
言われている人も
少なくないのでは。

実は私は
レッスン中の録音は「しない派」
と言うか、「禁止」に近くて
あまり経験がない。

公開レッスンなどでは
たまに録音することもあったけど。
ドイツにいた時のレッスンの録音は
わずかに1回。
師匠にコンチェルトの伴奏をしてもらって
合わせと言うか、レッスンと言うか、
その時のもの。

それを発見して聞いた時は
「もっと録っておけば…」
と思ったけれど。
習慣にないものは
やっぱりそんなもんか…
と言う気もしますね。

そもそも、ピアノのレッスンで
「録音禁止」と言うのには
それなりに言い分やメリットもある訳で。

小さい子の場合は
「録音している」
「いつでも聴ける」
と思うと、
レッスンでの集中力がなくなる。

これが大きいのではないか?
と思います。

同じ理由で、
自分でレッスン中に鉛筆で
書き込みをしたこともなくて、
譜面台に鉛筆を置くようになったのは
合わせを除いて
ドイツでやっと。

書きに来ているのではないので。
覚えて帰れ!!
ってヤツです。

集中力と記憶力は
ここで養われたかも知れません。

「録音」に関しては、
そこで「何を聴くか?」が大事。

…それを実感として感じたのは
おそらく昨年の今頃でしょうか。

録音をするのは
自分を客観視するため。
けれど、「客観視」とは
「粗探し」であることが多い。
自分が気付いていないことを
「修正」をするため。

でも。
自分の「いいところって?」

…この質問に、
答えられない人は
意外に多い気がします。

自分のために「録音」「録画」を
使うならば、
反省や客観視もそうだけれど
「自分の『成分』みたいなもの」を
抽出してみたらいいかも知れない。

人に向けて、
または公の場に「録音」「録画」を
「発信」することは
正直恐れとの戦いだと思う。

音楽家なんて謎な職業を選んだら、
自己顕示欲が強くて
発信するの大好き!!
と思われるかも知れないけれど。
意外に地味な作業が得意で
オタク気質。

よく言えば。
己を探るために「音楽」なんぞを
志した人も少なくないと思う。

つまりは、
目立ちたいために「音楽」を…
と言う人は、
一定数はいると思う。
でも、
一定数でしかない、とも思う。

「録画」なんて言ったら
「恐れ」なんてものは、
正直倍増どころじゃ、
私のヤワなハートは保たない。(笑)

音のミスから、
腕の肉付きから、
部屋の片付け具合から、
編集やアングルまで
気になりまくる。(笑)

だから、
対談で「ライヴ」にしたのは
そう言ったことを
「超えたい」ような挑戦が
あったりもした。

…結構、
何度か見返したんだけど。
意外と、面白かったと思うのよ。(笑)
人様のお役に立つかどうか?は
ともかくとして。

それよりも、
自分で責任取れないこととか、
「嘘」は言ってないなぁ…ってこと。

何よりも、
『自分」と言うものが
本当にわかるようになる。
あ、意外とこんなモンか、
ってところもある。
「自信」なんて大それたものでなくても、
その辺りは、きっと大きい気がする。

「録音」や「録画」は、
特に今の時代ならば
編集で如何様にも
「完璧」なものを作ることができる。

けれど、
そんな時代に
「なぜ音楽なんか?」

と言われたら、
作り上げられた「虚像」よりも
嘘のない「真実」に
迫るためでありたい。

その中で
いいところを「見せたい」
と言うよりも、
いいところが「伝わって欲しい」
と思うのは、
「願い」とか「祈り」に
近いかも知れません。
まぁ、言い訳かな。(笑)

けれど。
やっぱり「質」が高くないと!!
意味がない!!!

と思うのは
欲求であり
責任でもあり
闘いでもあるかも知れませんね。

それでは、また!
仲村真貴子

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