「痛み」の感覚

こんばんは。仲村真貴子です。

自分が感じている、肉体的な「痛み」を人に伝えることは、意外と難しいのではないか?と思う。人が感じている痛みをわかってあげられるか?というのとは別で、自分が「痛い」と認識するかどうか。それを、伝えられるかどうか。

日本語には擬音語がたくさんあるから、痛みを表現する言葉はたくさんある。ズキズキ、ジンジン、キリキリ、しくしく、ガンガン、などなど。その話をドイツでしたら、「日本人は痛くて大変だね。」と笑われたけど。でも、「どのくらい痛いか?」と言われると、少々困る。命に別状があるような、あるいは明らかに異変がある場合はそんな余裕もないだろうけど。痛みの度合いを表す単位として「ハナゲ」というのがあるらしいけど、これは笑い話だと思う。(笑)個人的な感覚の差を、単位で表すのは難しい。

どうして難しいかというと。

自分の感覚を信じることが、結構難しいのだと思う。
痛いけど…こんなの大したことないかな?大袈裟すぎかな?バカにされるかな?まだ我慢できるかな?そもそもこれって痛いのかな…???
こんな感じ。

2週間ちょっと前に手首を傷めて、結構私は痛みを確認するような動きを繰り返してしまった。痛いのは痛いし、「痛くありませんように…」と願う気持ちもあるけど。それよりも、自分の感覚が信じられないんだと思う。

「…これって、本当に痛いのかな???」

さすがに辛いかな?と思って、対処して。今日はそれ以来、またカイロの先生に筋肉反応を見てもらった。大分いいかな?と思いつつ、ふとしたときにまだ痛みがあって、時々確認行為に及ぶこともあった。

「大分よくなってるね。前回の、半分くらい。」

コレ、言い得て妙だと思った。

あー、確かに。そうそう、なるほど半分ね。完治はしてないけど、結構いい。でも、「ほとんど、いい」でもない。半分ね。

筋肉反応って、まるで嘘発見器のようだと思うけど。
それだけ、自分の感覚を自分が信じることは、難しいような気がした。

例えば私は、医者も薬も正直あまり好きではない。そういうものに頼る自分が許せなかったり、我慢するのがいいこと…と思ったり、大したことないと思ったり。でも、筋肉反応だとバレルので。(笑)だけど、筋肉反応でバレルのは、「痛い」と思う自分の感覚を信じられない「自分」だと思う。そうやって、いつも自分の感覚を否定して、ふたをしていないか?と。だから、あえて確認行為をするんだよね…と、そんなことを思った。

「自分の感覚を信じること。」

そのことは、出来れば「痛み」に関することではなく、いいことに関してであって欲しいけど。ただ痛めただけだと少々悔しいので、ちょっとした教訓として。

毎朝、無意識に右手を守ろうとしている寝相に、自分でビックリするのだけど。
近日中には、その朝の驚きもなくなりそうかな。そんなことを願って。

それでは、また!
仲村真貴子