こんばんは。仲村真貴子です。
「電車の中でやること」と言えば。
最近はもっぱらスマホでニュースかゲーム、本を読む、寝てはいないけどボーっとしている、やっぱり寝ちゃう…
そんなところでしょうか。
「電車の中で楽譜を読むこと」
実は昔から出来ないことの一つ。
電車の中で楽譜を読んでいる人、たまに見かけますよね。
あれが、ナゼだか「出来ない」のです、昔から。
やる気がないとか、人目を気にするから…ではなく、出来ない。
「アタマの中で、曲が再生できるか。シュミレーションできるか。」
というお題を頂いて、じゃあ電車の中でやってみようか、と思ってやってみたのですね。
…途中で寝ました。(笑)
「曲をアタマの中でシュミレーション」
出来ない実感はあったんです。
例えば、本番前。
私は楽譜を見ないのですが。
たまに「あそこの場所、どうだったかな?」とか、ちょっと最初からなんとなく思い浮かべたりすると、なかなか通らない。途中で「あれ?」となったりする。
本番前は怖いので、「あ、余計なことは忘れよう」と思って集中する訳ですが。
電車の中で楽譜を読んで、あるいは、「シュミレーション」してみて気付いたこと。
・内声とか、和音に関していい加減。
「シュミレーション」しようとすると、追うのはせいぜい旋律とバスだけになっている…。(苦笑)
・練習のとき、つまり楽器を弾いていると「実はそんなに楽譜を読んでいない」こと。
弾いているときは、要するに「弾く練習」なんですよね。弾くことに集中している。
実際に音を出してどうなるか、どうするか?は重要だけれど、「楽譜を読む」とは、実際には似て非なるもの、かもしれません。
それと、もう1つ。
よく「楽譜に忠実に」という言葉を聞きますよね。
うん、うん、そうだよね…
と思うのだけど。
楽器を離れて楽譜を読んで思うのは、
大事なのは、
「楽譜をどう読むか」
「楽譜から何を読むのか」
そっちの方じゃないかな?と。
アタマの使っていないところを使っている気分ですが。
「電車の中で楽譜を読むこと」
もう少し続けてみようと思います。
どう変わるか。
…本も読みたいけどね。(笑)
それでは、また!
仲村真貴子
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