こんばんは。仲村真貴子です。
銀座界隈…三越、松屋の周辺や、有楽町、新橋の辺りを歩くと、未だにちょっとドキドキしてくる。
特に、ちょうど夏休みの時期。
理由は、やっぱりコンクール。
夏休みと言えばちょうど追い込みの時期で、冷房ガンガンの部屋でさらったり、暑さにもめげずレッスンに遠出したり。今にして思うと、どうしてあんなに大変だったのかなぁ?とも思うけど、未だに銀座界隈を歩くとドキドキするくらいには大変だった。それに、ちょうどコンクールで大騒ぎをしていた時期は、コンクールよりも先生たちとの悩みが結構大きい時期でもあった。
あるとき、Ramirezのところで弾いていたとき、彼の生徒のテノールの子がある質問をした。ちょうど卒業の頃、小さな劇場との契約が決まっていた彼が、
「偉大な歌手になるためには、何をどうしたらいい?」と。
それにRamirezがこう答えた。
「運命的なものが必要。そう生まれているかどうか。」
「ドイツに来た理由は、医学部の奨学金で、元々は音楽のつもりじゃなかった。もちろん、音楽は大事に勉強してきたけど、自分がどうして医者ではなく音楽家になれたか?と言われると、説明がつかないことが多すぎる。大体、説明できたら、今頃みんな大歌手だよね。」と。
私はそれを傍で聞いていて、結構残酷なこというなぁ…と思っていた。同時に、私にもそういうものがあったらよかった…と。
コンクールが年間の大きな行事の一つとなっていた頃、今にして思えば私は特別成長した訳ではなかったように思う。それは、コンクールのせいよりも、先生との関係がうまくいっていなかったから。コンクールで運よく結果が付いてきたら、自分がどうにか納得できる気がしていたのだろう。同時に複数の先生につくことの難しさとか、レッスンで萎縮するような感覚は、夏の暑さの記憶となんだか重なる。
先日、そんな話をしていて。
「どうして、その大変な時期にやめずにピアノを続けたと思う?
普通の人だったら、多分もたなくてやめてるはず…。というか、やめることになってるはず。」
うーん、まぁそうかもね。
「小さい頃の余力と、よくワカラナイ謎の自力で乗り切ってた…。」
よくワカラナイ謎の自力…(爆)
ちなみに後日、Ramirezに同じ質問をしてみた。でも、答えは単語2つで終わってしまった。
”Bleib Du”(自分でいること。)
「え?答え違うよ?私もそんな風に生まれていたらよかった…」
と言ったら、
「まだ気付いていないなら、そのうちわかるときが来るよ。
多分、3年後くらい…」
…それで、3年後がこのザマである。
偉大な音楽家の何たるかはさておき、「謎の自力」とはある種の運命的なものかもしれない。「ある種の運命的なものによってピアノを弾いています」なんて、恐れ多くてまだ言えないけれど。謎めいた妖しい力がもしも私にあるならば、そろそろそれに気付いて、役立てるべき時が来ているかもしれない。
それはそれで、責任重いけどね。(笑)
それでは、また!
仲村真貴子
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