ちょこっとベートーヴェン談義

こんにちは。仲村真貴子です。

…先日、「エリーゼのために」の演奏を
ちろっとアップしたのですが。
そうしたら、こんな感想を頂きました。

エリーゼのためにの演奏を
聞いていて

ふとべートーベンの
深い心情は
左手のヘ音記号のほうに
あるのかな
と思いました

ありがとうございます!!
嬉しいですね、こういうの。

普段弾くときは…というか
特に最近意識していることは
「旋律を、どう歌わせるか?」
「流れをどう作るか?」
ということ。

今のマイブームは「流れ」ですね。
流れに乗る、でもなく
流される、でもなく。
流れを「自分で作る」イメージ。

私は本番の前日になると、
本番の目標とかイメージとか、
気をつける事なんかを3つくらい書くのが習慣で
一時期「いい流れを作る」
「流れを自分で作る」なんてことを
盛んに書いていたんですね。

…まぁ、「流れを作る」
「自分で作る」っていうのは
秘かに音楽だけに限った話ではありません。
「音楽」の話…と見せかけて、
実はそれだけじゃないよーん!!
っていうのが、ワタクシの言葉の理想。

それはさておき、ベートーヴェン。

「左手のヘ音記号の方に」というのは
おそらくは「伴奏形」の
イメージだと思うんです。

…これは、ベートーヴェンの心情というよりも、
「私」のベートーヴェンのイメージ。
かも知れません。

「弾き心地」の面から
作曲家の特徴を感じられるのは
演奏する側の特権!ですね。

ベートーヴェンって
「単なるドミソの和音」
「単なるドソミソの伴奏」
「単なるオクターヴ」
…こんなものに
エクスタシーが感じられるんですよ。

エクスタシー。
恍惚としたもの。
ちょっと最高!みたいな。

いやー、単なる和音でしょ。
とか思うんだけど。笑

だって、
例えば「英雄」出だしの
♪み〜そみしみそし…とか、
「熱情」の出だしも同じく、
要するに「和音バラしただけじゃん!」っていう。

よくやるわ、恥ずかし気もなく。笑
しかし、それが謎に最高なのよ。
なんか、1つの和音に世界を見た!
みたいな、ちっとぶっ飛んだこと
言いたくなっちゃう様な。

一方で、私はベートーヴェンの真骨頂は
「ゆっくりな楽章」にあると思っていて
結構緩徐楽章マニア。

「運命」なら2楽章。
「第九」なら3楽章。
「熱情」とかも、やっぱ2楽章。

…旋律的な魅力と
単なる和音のエクスタシーの融合!
とか言ってみる。

そんな訳で。
エクスタシーが感じられる様に
努力して弾く!
というよりも
エクスタシーを感じて弾く!!
って感じかも知れない。

あぁ、ただの和音。
あぁ、ただのオクターヴ。
あなた最高!!

…みたいな。(アヤシイ。笑)

物理的かつテクニック的なことを言えば
特に右利きの人の場合
「左手」って、なかなか動かない。

私も右利き。
かつては「ピアノ弾くのに不都合だから」
という、それだけの理由で
「左利き」に憧れました。
それくらい、動かなかったんです。

小さい頃。
片手ずつ練習するのに
右手なら5回で済むところが
左手は10回でも足りなかった。
30回でやっと、とか。
そのくらいの感じ。

いつの間にか、
随分動く様になったし、
それほど苦手意識もなくなりました。
相変わらずの右利き、
字を書くのも
食べるのも
シャワーも右利きですが。
右手より小さいのに
左手の方がよく開くのと、
元が不器用だと
意外に痛めにくいのは
利点かも知れません。
愛すべき存在でございます。

左手の、いわゆる伴奏形を練習するときは
・単なる伴奏形でも、
それだけで魅せられる様に。
・メロディー(=右手)と一緒になるのを
イメージする。邪魔してないか。
いい「流れ」か。
こんなところがポイントですね。

ベートーヴェンって人は
「1つの和音」から「世界」を見た人。
でも、
「時代の流れ」から「今この瞬間」を
感じられる様な人。
なんか「木」と「森」を両方見てた様な
そんな感じがしますね。

それでは、また!
仲村真貴子

追伸:
なーんか、もうちょっと
気軽に、近い感じでやり取りができる
場所が欲しいなーとか思っていて。
Facebookのグループ作ろうかな?
…とか取り敢えず、言ってみる。