外国にまつわる、よもやま話30〜「自分」と「距離」〜

こんにちは。仲村真貴子です。

…主に、ウィーンとNYを
ネット上で行き来して、
オペラばっかり聴いている
昨今の私ですが。

ザルツブルクのイースター音楽祭の
「アラベッラ」。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」
に続き、
楽しみにしていたのに
見逃す失態…。

まぁ、義務で見る訳でもないし。
…と、納得しつつ。
要は悔しいだけです。(笑)

大好きなコーヒーを
飲みすぎた!

…と言う意外には、
寝られないことなんぞは
ほとんどない私ですが。

「寝られない」

と言うことが、
最近はたまにあります。

元々引き篭もりな性分、
家から出られないことは
全く苦にならないのですが。

体よりも
「気持ち」は
実は疲れているのかも知れません。

オペラを見忘れたおかげで
昨日は静かな部屋で過ごしました。(笑)

ドイツにいた時。

部屋にピアノはなかったし、
文明機器は
パソコンとスマホだけ。

…そう、テレビがなかった。

諸々の保証で持ち上げられている
ドイツ、
持ち上げも下げもしませんが。(笑)

テレビがあってもなくても
ARDの受信料は
払うのが「義務」です。

NHKの受信料的なヤツですが、
テレビがなくても
外国人でも
支払うのが
「義務」。

ちなみに、
ネット経由で
テレビは見ることができます。

ドイツの番組は、
確か7割くらいが
「ミステリー」「サスペンス」
…と聞いたのは、
語学学校の教材だった気がしますが、
ドキュメンタリーなんて
日本の比ではなく。
リアルすぎて
言葉云々ではなく
ガチで寝られなくなる様な
代物。

積極的にテレビを見たのは
サッカー絡みのこと位。

自分の身の平安を保つには
そんなもんです。

おそらくは、
流れてくる「情報」に、
疲弊しているのでしょう。

テレビでも、
荒れたインターネットでも。

一方で、
「音楽家」と言うのは
何かメッセージを持って
「発信すること」が
仕事でもある訳で。

家から何かを「発信」
するべきなのか、
それには何の意味も
持たないのか。

他の人を見て
変に焦ることもあるし。
あるいは、
批判されたら…とか、
価値はあるのか?とか。
音楽家が、
「繊細」で「敏感」なのは
ポジティヴに考えるとしましょう。(笑)

オペラを見忘れて、
テレビやネットの「情報」から
ちょうどいい「距離」なんかを
考えていたら、
久々にマスター・ヨーダ語録を。

冗談好きで
哲学なんぞがお好きであらせられる
マスター・ヨーダ、Ramirezに

「音楽をやるのは、
何のため??」

と言う質問を。

一発回答で
“Vergnügen “
と言う言葉が。

“Vergnügen “

とは、「楽しみ」と言う意味。
けれど、
いわゆる「楽しい」と言う意味に
「享楽」「快楽」と言う意味も
含まれる。
エクスタシーと言うべきか。

まぁ。
それは、わかる。

けれど。

“Zuerst selbst”

だそうで。

“Zuerst selbst”とは、
「最初は自分のため」と言う意味。

…え??自分のためなの??

と、すかさず質問をする私。

「音楽をなぜやるの?」
「どうして演奏をするの?」

と言う質問に、
「人を楽しませるため。」
「人に喜んでもらうため。」
と答える人は多いし、
私も…違和感は感じつつ、
まぁ、わかる。

けれど。
「最初は自分のため」。
…それって、
自己満足じゃない?

…と言ったら。

「ははは。
自分が満足していない、
自分が楽しんでいないもので、
『人に楽しんで』って言って、
どうするの?
それは、無理だよ。

「まずは自分が」
自分の声とか、
自分の音を大事にすること。

『あぁ、こんなことができるんだ』
『こんなことができた』
って、本当に自分が感じて
満たされたら、
それはきっと人に伝わって
人を満たすことができるよね。

それができるのが
音楽家の幸せだよ。」

…ふむふむ。

音楽家の最初の仕事は
「人を幸せにすること」
よりも前に

「自分が幸せでいること」。

音楽家でも、そうでなくても。
大それたことでなくてもいい、
一杯のビールであったり、
一振りの香水であったり、
「何か、心を満たすもの…」
その瞬間を大切に…
と思いつつ。

それでは、また!
仲村真貴子

追伸:
最近ちゃんとやろうと思うことは
湯上りの保湿です。(笑)

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