遠征旅行

こんばんは。仲村真貴子です。

「旅」はどんなものであれ、私を強くしてくれる、と思っているけれど。
「遠征旅行」となると、やはり少々疲れる。

「コンクール」というものとお付き合いし始めて、かれこれ25年位になるのではないかと思う。励みになるから、出場年齢になったから、先輩が出ていたから、私も賞を取りたいから…最初の動機はそんな感じかな。課題曲の発表から年間行事予定のように恒例化され、疑いも無くお付き合いが続いてきた。大半は負け戦だけど、たまに謎にうまくいってしまうこともあった。それで味をしめる…というよりも、結局はどっちにしてもあんまり達成感は無くて、自分の出来と結果の差に悩むことも多かった。「結果がある本番」は、確かにその分必死で頑張る気もするけど、その緊張感と不健康さから未だに銀座界隈を歩くとドキドキしてくる。

ドイツに行って最初の2年は、結果の為に弾く本番に心底疲れていたから遠ざかっていたけど。その後は、年齢的なリミットもちらついてきて、「今しか出来ない」と、相当に焦った時期があった。何かカタチが残るものが、「結果」が欲しかったんだと思う。

つい最近も、正直なところ最後の悪足掻きをしようとした時期もあったけど。さすがにやちょっと違う方向に足を出すべきかな?とやっと思い始めつつ。最近は、ちょっと別な方向から、お手伝いのようなカタチで関わることが増えてきた。

「今のうちだから」と頑張るみんなと、こうして再会できるのは、心底嬉しかったりする。学生の頃とは違ったことを得られる瞬間は、幸せでもある。

でも、今回はそのことよりも、同時開催されていたピアノ部門を横目に見て、何とも言えず酸っぱいような気分になった。

プログラムには、コンクールではお馴染みとでも言うべき曲が並んでいる。そういう曲を、レパートリーとしてあまり持っていない私は、「勝負にならない」と思って結構悩んだ時期がある。それは、日本でもドイツでもそうだった。リハーサル室から聞こえてくる必死さは、過去の自分を思い出して懐かしくなり…というよりも、その必死さを少々苦しく感じた。そんなこともあったな、と思ったり、よくやったな、と思ったり、でも、出来なかったことも多かったな、と思ったり…。

…もしかして、私は、どこかで「勝つために」弾いてはいなかったか。
そして、「勝たないと意味がない」と思ってはいなかったか。

ふと、そんなことを思った。

プログラムもコンクールの戦略がちらついていたし、コンクール偏重ではなかったPistoriusに支えられつつも、振り切ってしまったことも多々あった。目に見えるものが欲しくて、何かカタチあるものが欲しくて、焦っていた。

…でも、大事なことって、何??

幸か不幸か、自身のものとしてはそろそろコンクールとおさらばする時期になって、考えざるを得なくなってきたのが、コレ。コンクールのために音楽やってるわけではないしね。舞台の経験としては鍛えられたけれど。やっと解放されるというか、離れて一歩進まなければ…というか、そんなところに来ている気がする。けれど、どこかに忘れてきた「自分」みたいなものを取り戻すことは、後遺症としてちょっと時間が必要かもしれない。

…ちょっとやわらかめ、甘めの白だしのうどんと、ビールが妙に身に染みた博多。
旅の思い出として。

それでは、また!
仲村真貴子

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