こんばんは。仲村真貴子です。
…リサイタルの準備諸々に明け暮れていて、今更登ると決めた山が、実はエベレストだった…みたいな心境でいる。(笑)お尻に火がつくのが遅い自分を反省する余裕もなく、だったら何かやりなさい!と自分を奮い立たせつつ。寝る時間よりも、寝なくていいような体が欲しいと思いつつ。
でも、そんな時に慰めてくれるのが、また「音楽」だったりする。
こんなに複数の、バラバラな作曲家のプログラムなのだから、それぞれの特徴が出るように…というのは、悪くない。けれど、それよりも「共通すること」とか、「繋がり」なんかを見ると、意外にそれぞれの作曲家が助けてくれるような気がしてくる。
スクリャービンにちょっと手こずって(…テトリスやらせてみたい、とか言ったからかしら…笑)、そこからショパンに戻ってみると、何だかショパンが教えてくれること、助けてくれること、ヒントをくれることがあるみたい。そういえば、スクリャービンはショパン大好き!だったよね。
リストを弾いていると、今度はいつの間にかショパンが弾きやすくなっている。リストとショパンの共通の知人は、なんとジョルジュ・サンドである。
そんな具合で、ちょっとドビュッシーが大らかに弾けたらいいなぁとか思いつつ。ドビュッシーとスクリャービンは同時代に生きて、チャイコフスキーのパトロンのところかどこかで、確か繋がっている。
こんな具合の人間関係を見ていくと、天才たちの集まりは異質なもの…と思いきや、「知り合いの知り合いは、知り合い」みたいな、私たちの人間関係とあまり変わらないように思えてくる。それほど遠くない、普通の一面が見えてくるというか。
私の誕生日は、ショパンの命日の次の日だから云々…とかいうつもりはない。
「え??ショパン弾くの???」
という、反応を楽しむ余裕は、そろそろなくなってきているが、そんな私がショパンに慰められるような気になっているのだから、私もそこそこ年を取ったか、いよいよイかれてきたか、多分両方だと思う。
バラードの3番。
見た目よりも大変な曲を書いてくれたよ…と、毎回思う。
確かに、サロン音楽のような軽い曲調であるように見えるけども。
実は非常にロジカル。
和声も、構成でも、本当に計算し尽くされている。
ショパンが正直、「譜読みが意外に大変」と思うのは、和声が本当によく考えられているから。立体的な内声とか、「実はここ、だいじ!!」みたいな隠れ旋律とか。だから、実は頭にベートーヴェンの存在があると思う。
でも、ドイツでの留学生活での最初の本番でこの曲を弾いた時は、そこまで迫れなかった。
甘やかな旋律と、華麗な響きで人々を魅了するはずのショパンが、
実は意志が強くて、計算高くて、和声と構成にこだわった人…と言ったら、ショパン好きな人の夢と希望をぶち壊すだろうか…。
ショパンが人々を魅了するのは、ロマンチックな世界や、美しさや綺麗さによってではない。
彼がその人生を必死で生きたから、その必死さによってではないだろうか。
ロマンチックとか、美しいとかではなくて、もっと人間くさい、生々しいような部分。その点で、実は彼の音楽はかなりリアリスティックだと思う。
「ショパンを弾く」というと、
「え???」と言われる私がショパンなんぞを弾くのは、自分がそこに迫ってみたくなったからだと思う。
どうして音楽をするかって??
「物事の本質を…」とか言われて久しいけれど。
「等身大の私を」とか、「ありのままを」なんかとも違う。
もっと、生々しくて、重たいところだと思う。
「真実味」とか、「リアリスティック」とか、「本当のもの」とか。
あるいは、「ひたむきさ」とか、「ただ一生懸命に」、「必死に生きること」とか。
そんなところに迫ってみたい。
ショパンって、結構必死だし、本気な人だよねー、多分。
それでは、また!
仲村真貴子
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