棒振りたちの頭

こんばんは。仲村真貴子です。

「わかりやすい指揮をして、みんなで合わせて、『はい、終わり』っていう演奏にはしたくない。
わかりにくい指揮をしたら、いい演奏になる、みたいなのが理想。」

時々お邪魔する合唱団で、指揮者の方のメッセージとして聞いた言葉。
片手間では手に負えない「ミサ・ソレムニス」。
せっかくだから、自分のためにもちゃんとやろう、と思った瞬間だった。

ここ半年くらい、どういう訳か指揮者の方々と関わりを持つことが多い。
師匠Pistoriusがレッスン中に「指揮をするように…」というようなこともあったし、今必要な出会いなのかもしれない。

もうひとつ不思議なことに、出会う指揮者が大体冒頭の言葉のような考え方を持っている。

指揮者の仕事とは、役割とは、何か。

少し前の私なら、
「わかりやすい棒を振って、わかりやすい指示を出して、演奏をまとめること。」
と答えたと思う。
…どうやら少し、様子がおかしい。(笑)

もちろん、そういうことが求められる場面もあると思う。
でも、この考え方の問題は、奏者が指揮者の「指示待ち」の状態になること。
奏者の側からすると、
「あなたがこう振ったから、こうやりました。なにか問題でも?」
…という感じ。
それでもたらされた音楽って…どうなんだろう?
言われてみると…あぁー、何となく、そうだよねぇ…という感じ。
窮屈なものに…なることが多いんじゃないかな…。

指揮者の役割とは。

「奏者が出してくる音やエネルギー、目に見えぬ『何か』を、いい具合に調整すること。」
…ある人はこう言っている。
だから、指示を待って動くのではなくて、大人数であっても自分でどうしたいのか、どうすればいいのかをまず考えて、やってみること…かな。
そうすると、指揮者の指揮がわかりにくくても、何だか面白いことになりそうな気がする。

私の記憶が確かなら、ファビオ・ルイージが何かのインタビューで、
「指揮者が偉そうな顔をして、命令して成り立つような時代は終わった。今はそれでは誰もついてこない。」
みたいなことを言っていて、印象に残っている。
数日前に「音と香り」の話を書いたけれど、ファビオ・ルイージ、なんと香水を作っているらしい。香りと香りを合わせて調合する「調香師」という仕事を思い浮かべると、何となく指揮者の仕事がイメージできるかもしれない。
ちなみに、今、図書館で借りた本の中に、サッカーの監督力についての本があって、なにやらそういうものに興味があるらしい。

師匠Pistoriusは
「指揮者って、音楽家というよりも哲学者だよね。」
と言っていた。

これ以上、人生を棒に振りたくないから(笑)、棒を振る予定も、そのつもりも今の所はないけれど。

必要なのは、「棒振りたちの頭」かな、という気がしている。

それでは、また!
仲村真貴子