「練習する」って、何だろう?

こんにちは。仲村真貴子です。

「1日に、何時間練習するの?」

この質問が、キライですね。苦笑
昔から。

確かに音楽とか楽器、歌、スポーツとか
ある特殊な技術を要するものは
「練習」とか「訓練」じみたものが
必要なのは、事実。
そして、それには時間を必要とする。

だから、「1日10時間練習」みたいなのが
美談として語られるのは、よくわかる。

確かに小学校とか中学・高校の頃は
本当に練習した時間の分だけ
上手くなる時期があります。
若いから頭も体も柔軟。
心身ともに成長途中ですね。
一方では、
「習うより慣れろ」で
どう練習するか?なんてことも
ワカらないから長時間やる、
習慣化するのが大事なのかもしれません。
忘れるのもビックリする位早いので
かつてスキーに1週間行って、
帰ってきたら全く!!!
本当に全然弾けなくなっていて
ショックだった覚えがあります。

…でも。
ピアノって「練習時間の長さ」を
競う競技では、ないし。
問題は「それをやって、どうなった??」
って言うこと。

仮に10時間練習して、
あんまり上手にならなかったら
その方法や内容は考えた方がいいし、
ピアノは好きだけど
練習はキライ!!
って人は、
どうやったら短時間で効果が上がるか
考えたらいい。

丁度受験シーズンの今になると
思い出しますが。
ある年の受験の時は
レッスンも本番も頼りにならなくて
「とにかく自分が、できることを尽くしたいから」
と言う理由で、
1日何時間練習できるか、実験したことがあります。

実際には10時間とか12時間とか
可能ではあるんですが…
8時間越えたくらいで
どうでも良くなりますね。笑
ついでに、その後3日位不能になりました。

結論。
意味がない。笑

「10時間練習することが目的」って言う練習は
全く意味がないことがわかった。
それを知るのに「10時間」。
上等でしょ?

それでもその時は、
その位しか満たされるものがなかったので
練習してましたが…
以来、練習時間の「長さ」を数えるのは
やめました。

むしろ、
「この2時間で、何ができるか?」
今はそっちの方が、よっぽど大事です。

理由はドイツにいたときに
家にピアノがなかったから。

雨が降ってもヤリが降っても
長時間並んで待っても
「それでも弾きたい!」と思えないと、
結構大変です。

「家にピアノがあったら
私もっと練習したと思う!!」
と言ったら、
家族・友人・先生全員が
「…えー??そうかなぁ…
別に変わらないんじゃない??」
と言ったのは、衝撃ですが。笑
気が乗らないと弾かないタイプ。
でも、家にピアノがあるのは、幸せよ。

基本的には並ぶの大変だし、
友達に会ったらなにがしかを飲みに行きたいし、
実際部屋が取れたときには
すでにどうでもいい!ってことも、ある。笑

そうなると
「何を練習して、どうするの?」
「今日の目標は、何?」
それを考えて実行する以外に、
方法がないんです。

今日は、いいからとにかく通す。
バッハに時間かける。
リストの最後のところ、毎回微妙だから何とかする。
エチュードは20分は弾かないと
調子落とすかな…
などなど。

次の日の練習メニューは、
シャワー浴びながら考えるのが好きですね。

…と、まぁ「練習」って言うと
技術的なことにフォーカスしがちですが。

その前に。

「どんな風に弾きたいの?」
「その曲は、どんなイメージ?」

これがないと。

「こんな風に弾きたい」
だから、練習する。
「こんな風に弾きたい」
それが出来てないから、

練習する。

そういうモンだと思うんです。

取り敢えず何も考えずに
10時間弾いてたら
楽譜の「音」は追えるように
なるかもしれませんが
それなら今時AIにでもやらせた方が
ミスないし質も高いはず。

でも、
人が演奏する音楽に
「どんな価値があるか?」
と言ったら、
その人が何を感じて
何を考えて
何を見ているのか。

そういった
オリジナルで
エモーショナルなものだと
思う訳よ。
感情が、揺さぶられるもの。

その意味で
「練習」って訓練とか鍛錬、
「指の運動」とかよりも

たくさん「何か」に気付いて
たくさん「何か」を見つけて
たくさん「何か」のイメージを広げる…

そんな時間であって欲しい、
と思うのです。

その方が、楽しいじゃん?
「他人」とか、関係ないし。
邪魔とか、されないし。笑

日常の大変なことを
切り離してピアノに集中するのもいいけど。
日常の大変なことを
「忘れるために」ピアノを弾くとか
忘れたいから弾いてたら忘れてた!!
…みたいな。
そう言う存在でありますように。

本当の「現実」は、こっちよ。

それでは、また!
仲村真貴子