こんばんは。仲村真貴子です。
「ミスタッチに思うこと」
…たまには言い訳でもしましょうかね。(笑)
やっとリサイタルの録音とか聴く気になって
CDコンポをスピーカーに繋ぎ直してもらって、
聴いています。
元々自覚はあるのですが。
私はいわゆるミスが少ないピアニスト…
ではないですね。(笑)
コンクールや入試で苦労したことの1つは
コレもあるかも知れません。
ミスはないに越したことがない。
あるいは、ミスがないことなんて
「当たり前」。
でも、
「ミスがなければ、
それだけでいいか?」
と言えば、
議論になりますよね。
ミスが多いのは、多分言い訳。
けれど、
本番後にほんの少しのミスを取り上げて
泣いたり悔しがったりする知人・友人をみると、
うーん、どうなのかなぁ?と思ったり、
一方で自分の日頃の行いを詫びたくなったりします。
例えば名だたる有名なピアニストたち。
ポリーニやミケランジェリは
「完璧すぎて面白くない」
なんて言われる。
一方で、
ホロヴィッツとかコルトーとか。
「結構ミスばっかりだよね」
とか言われる。
「価値観はそれぞれ」と一言で終わってしまえば
終わるけど、
それよりも人間って、
ナンテ贅沢な生き物!とか思う。(笑)
時代の要請という面もあると思う。
コルトーの頃だと、録音自体がかなり貴重。
ポリーニやミケランジェリなら
録音で修正や録り直しがあまり出来ないはず「なのに」、
こんなに完璧。
今は「動画の時代」。
(…とか言って、古風に書いてるけども。笑)
コンクールなんかの予備審査も
「録音」ではなく「ビデオ」が主流になってきました。
なぜならば。
録音は「編集できるから」。
例えば、SMAPのコンサートに行った時のこと。
「SMAPって、本当に、いるんだなぁ〜」
とか思うのは、ライヴの臨場感ならでは。
あと、彼らが歌詞を飛ばしたり、何か間違えたりすると
みんな喜んで湧くんですよね。(笑)
もちろん失敗を喜ぶという意味ではなく。
口パクだの、マイクに電池が入ってないだの言う彼らが
「本当にやっているんだ!」
と言う、リアリティを感じられるから。
ミスしたことによって。
そしてそれは、
その時その瞬間だけのもの。
完璧なもののウソっぽさ
ミスがあることのリアリティ
何とも贅沢で、
世の中は矛盾だらけですね。
「完璧」と言う物を目指しながらの
結果的な「不完全」
こんなところがベストかも知れません。
最初から「不完全」でいいや!と言うと、
成長とか向上とかないですし。
…どうですかね?(笑)
「ミスタッチ」の言い訳、
上手く出来ていますかね??(笑)
「ミス」とか、「完璧」とか。
音楽だけの話ではないはずです。
他のことにも通じるかな。
それでは、また!
仲村真貴子
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