こんばんは。仲村真貴子です。
「一日、何時間くらい練習するの?」という質問。
白状すると、小さい頃からあまりこの質問が好きではなかった。
別に練習時間を競う競技ではないし…とか思っていたかもしれない。
とは言うものの、今だってこの質問はあるし、自分だって人に訊くこともあるけれど。
一日、何時間練習するか。
受験であくせくしている頃、ある時期練習以外に心の拠り所が全くないことがあった。試演会もレッスンも、別に普通に弾けるけれども、どうしても打開策がない。そんなときに、とにかく自分で納得できるように…と思って、とにかく一日〇時間みたいなことをやっていた。無意味だと知りつつ。実際、無意味だったと思うけど。(苦笑)
よくいうピアニストの練習時間を考えると、正直私は物凄く練習するタイプ…でもないと思う。それでも、家に楽器を持たなかった留学時代は、好きなときに好きなだけ弾ける訳ではないことがストレスになることは多々あった。今考えると、上手く休めていた、という気持ちと、弾くこと以外にどうするか?を、もっとちゃんと考えるべきだった…という思いと、両方な気がする。
楽器を弾く「練習」以外に、どうするか。
楽器から離れて、楽譜を読んで組み立てる。
組み立てられたら、「何をどう練習するか?」がわかる。
…なんて話をしていて、これが出来れば自ずと練習時間は減ってきて、効率がよくなってくる。そのことをアタマではわかりつつ、まだアタマで構築することよりも、練習に依存するところがあるのだろう。これだけ「弾いたから」大丈夫、という自信を持ちたいような。
薬指の調子もかなりよくなってきて、気持ちも乗ってきていたから。
「今、ここで頑張らないと!!」と思って。
…そこで、一発で手を傷めてしまった。
本当に、ちゃんとアタマで考えて弾いていたら、こうはならなかったはず。
楽譜を読んで、どうするか?を作ってから弾くと、曲の見え方が変わってくるから、本当はこのやり方の効果を演奏の変化として実感するべきだけど。それよりも先に、このスキルを身につける必要性を感じてしまった。身体的な痛みを持って…。
痛みを感じないと学習しないのは、小さい頃から変わっていないけど。
練習すればした分だけ上達するのは、残念ながらそろそろ過去の話だと思う。
年を取った…と言えば悲しいかもしれないけど、一応それ相応に知恵があるとしたら、楽器を弾く時間「以外」のところで出来ることがあるはず。
年に応じて出来ることが変わってくるのが、「年を取る」ということなのかもしれない。
「一日に、何時間練習するの?」と訊かれたら。
今度は、いかに「短時間で」練習するか?を考えたらいいかもね。
それでは、また!
仲村真貴子
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