5月の「ローエングリン」

こんにちは。仲村真貴子です。

…数日前のメトの「ローエングリン」が
忘れられなくて、
謎の1人「ローエングリン」ブームが到来している。

長大なワーグナーの作品に
私はどうやら結構泣けるツボがあるらしく、
生で観た折には
結構な頻度で泣いている。(笑)
「トリスタンとイゾルデ」とか
「神々の黄昏」とか。
長時間頑張って見た自分、万歳!!
みたいな、変な達成感もあると思う。
たまには自分を労いたいらしい。

けれど、
好きな作品といえば
「タンホイザー」
「ローエングリン」
「パルジファル」
あたりを挙げるかもしれない。
ワーグナーの作品の立ち位置なんかよりも、
「清められる」世界。
マイナスイオンみたいな。
浄化されるような空気は、
それでいて時に切なくも感じる。

最近、聴いた大分古い録音の
「パルジファル」が素晴らしくて、
先日の「ローエングリン」も
私がまだ生まれていない頃のもの。
どちらも指揮はジェームズ・レヴァイン。
近年の噂話は横に置くとして、
「ローエングリン」は
レヴァインが振る姿だけで何だか泣けた。

「昔の録音は、よかった。」
なんて簡単な一言で済ませるつもりはないけれど
その違いは興味深い。
自分が知らない時代…
と言う意味では、新しさもある訳だけど。
「何が違うのか」
「何に惹かれるのか」
そこを掘る価値は、あると思う。

気に入った録音があると
「これじゃなきゃ、イヤ!!」
みたいな頑固なところは、
小さい頃から変わらないかもね。(笑)

「ローエングリン」と言えば
オレのとーちゃん、まじパルジファルだし、
白鳥のなんたらはちょっと志村けんだったりする。

冗談はさておき。

実は生で見たのはわずかに1回。
フランクフルトで。
それも、5月だった。

ワーグナーの作品は満員なのに、
前後の、ヴェルディの作品は
ガラガラだったのは
いかにもドイツらしいけれど。

そんなことはまぁいいとして、
この時も実は
のっけから相当泣いた。(笑)

1幕は泣きっぱなし。
3幕で再び。

演奏とか舞台が素晴らしくて…
と言うよりも(失礼)、
それこそ個人的ないろいろ…かな。

当時、
ホルンを吹く人といろいろありまして。
「角笛を渡すから、ここを去る」
と言うシーンは、
当たらずとも遠からずな実話になってしまった。
素性に迫る、
素性を明かす…
なんて話も、同じく。
その人が、今どこで何をしているのかは
知る由もないが、
音楽家ではないだろうなぁ…と。
色恋沙汰はともかくとして、
音楽家でいることの
大変さとか
幸せとか
責任とか。
そんなことを考えるには
十分な材料だった。

私が「歌」や「声」と言った
「直接的なもの」を聴くことが多かったり、
私の知らない古い時代の録音に惹かれるのは
ある種「命懸けのもの」を求めるから
かもしれない。
「長時間練習した」とか言うよりも、
熱量の強さ、熱苦しさ、みたいな。
ピアニストからは、
同業者だからか…まぁ、ねぇ。(笑)
正直、命を懸けたものを感じることは
あんまりない気もする。
クールで颯爽としたものに
憧れたのは、事実。
けれど、
実際のところ私は
残念ながらそんなに器用ではない。
ならば、
その不器用さに命を賭けるしか
脳がない気もする。

白鳥の騎士が登場する
「ローエングリン」が好きなのは、
白鳥の騎士がステキだから!!
…ではなくて。
素性を明かさない白鳥は、
影でバタバタやってんのかもね。(笑)

それでは、また!
仲村真貴子