アートと「血筋」

こんにちは。仲村真貴子です。

…ここ最近、
画家の方の「個展」と言うモノに
立て続けに出掛けまして。

新橋〜東京辺りにかけては
小さな画廊がかなりたくさん
ある様ですね。
知らなかった。

先日はお世話になっている
先生のご主人。
昨日は友人のお母さん。

…面白いですね。

いわゆる
「美術館で絵を見る」のとは
違った面白さと
違った意味合いが
あると思います。

私は自称、
「絵心ない芸人」なので。

「絵」って全く描けないんですよ。
苦手。

でも、
なんか抽象画が評価されて
まさかの大田区を突破し、
東京都美術館に飾られた!!

なんて経験がございます。

おどろきもものきさんしょうのき。

…アレ、一体なんだったんだろう?
内面の表出??
全面ピンクの砂絵なのに
「天の川」って名前付けたから??

個展に出掛けると
「アートとは感じるモノ」
と言う思いを強くしますね。

絵が描けないので。
よくわかんないんですよ。笑
美術館に行っても
どーせわかんない。笑

音楽と同じく。

でも、
「感じる」モノ。
どっぷり浸かるモノ。

ピアニストの友人のお母さんの個展は
いわゆる現代アートですが
面白かったですね。

友人は本当に「アーティスト」。

何か、面白い感覚を持ち合わせていて。
独特の感覚。
それでいて、
結構器用だなぁと思いますね。

「変なヤツですよね。
誰に似てこうなったか?って
言われると…」
…と、笑うお母さん。

色使いの感覚が
何だか友人に通づるところがあって。
これって、
受け継いだ感覚なのかな?
血筋なのかな…??
なんて思いました。

作品について、
直に話を聞けるのも
面白いですよね。

作者の方に話を伺うなんて
恐れ多い…

とか思うのは
ある意味、音楽家的感覚かも
知れません。

「これはこう言う材料で」
「こんな工程を重ねて」
「…作品を広げたのは
ここの場所で初めて」

…こんな話。大好き。
そして、
作品は、展示会場で展示されて
初めて完成するんだな…とも。

1つ思うのは
作品を見ている…

と言うよりも

作品を通して「その人」
を見ている。

だから、
直接知っている人の方が
興味が湧くし
納得したり
驚いたり
楽しむ要素が増える。

ピアノと美術と
媒体は違えど
その「血筋」は
相通づるものがあるなぁ、と。

…じゃあ、私は?

と言うと。

家族に音楽家・芸術家はいないので
まぁ突然変異的な
へんなヤツかも知れません。

宇宙人、万歳。

強いて言えば、
祖母が生花の師範でしたが…
美的センスが…
と言われると、どうかなぁ。
正直、私は
実はあんまり「美的センス」で
弾いてはいない気がする。

…それよりも、
受け継いでいる「血筋」が
あるとしたら。
おそらくそれは
「母の想い」であり
「身体的特徴」
かも知れません。

母はおそらく否定するでしょうが、
実は私からは
かなり本気でピアノをやっていた様に
見受けられる。

「自分でピアノの先生を探した」(6歳)
「ピアノが欲しい!って泣いた」
…この辺りの、本気具合。

それと、「手が小さいこと」。

家系的に「手が小さい」と言うのは
血筋というよりも
もはや「歴史」ですね。

そして、
「小指の短さ」では、
もはや無敵の私。
いやー、
こんなに短くなくても、いいでしょ。笑

母がピアニストになっていたら
結構明晰で
ストイックだったでしょうね。
気が強いし。笑

自分に流れる「血筋」を
成分分析して
好きも嫌いも受け入れながら
「自分なりに」カタチを変えて行けるのが
人生の面白いところかも知れません。

…なんか「魔女の宅急便」
みたいになってきた。

「魔女って、どうやって飛ぶの?」
「…血で飛ぶんだって。」

そういう話。

好きよ。

それでは、また!
仲村真貴子