声と音

こんばんは。仲村真貴子です。

「自分の本当の声で歌うこと。自分の声をもっと好きになること。」

仲のいい歌い手が、とある講習会に参加したときに言われた言葉そうで。
うんうん、なるほどね…と思っていたけど、これが難しいのも頷ける。

そういえば、例のコロンビア人のおぢさん。
「まずは自分の声を好きになること。大事にすること。
曲とか役に声を合わせるのは違うよ。」と言っていたっけ。
当時はその意味があまりよくわからなくて、さすがはテノール、ナルシストか、ちょっとおバカか?!なんて思ったけど、これはもっと本質的で哲学的な話であるらしい。

声にコンプレックスを持っている歌い手は多い。
傍から見ていると、別にそんなことないのに…とも思うけど。

歌い手の「声」は、楽器奏者には「音」に置き換わる。
そこで、あることに気が付いた。

実は私は、自分の、いわゆる「持ち音」に結構コンプレックスを持っていた。
類は友を呼ぶ、と言うべきか…。

一人ひとり声が違うのは、当たり前でわかりやすいけれど、楽器を弾く場合は「楽器」という媒体を通すからわかりにくいような気もする。でも、そこに人柄やこだわり、人生みたいなものが反映されるのは、よくよく考えると同じだと思う。もちろん、骨格とか体型もあるし、それを磨くためのテクニック的な鍛錬もあるけれど。

「自分の本当の声で歌うこと。」
「役に声を合わせるのは、違うよ。」

自分の音の立ち上がりが悪い、ちょっとこもったような音がすることに気が付いたのは、小学校3年か4年の辺り。コンクールを受け始めた頃に、「持ち音が欠点で、勝負にならない。」と言われることが多く、落ち込みながらそれを認めていた。関節がゆるかったり、打鍵にスピードがなかったから、ピアニストのための、筋トレとかスプリントトレーニングみたいなこともやってみた。イマイチ性に合わないというか、怠惰と言うか…そのトレーニングが、私には実際の音とはあまり結び付けられなかった。

先生が変わったり、結果を求められる場からちょっと離れると、それを持ち味とか特性としてみてもらえることも、増えてきた。それでも自分ではコンプレックスだったけど。

「自分の音を磨きながら表現の可能性を探ると、オリジナルになるよ。」

おぢさん達が言ってたのは、このことか。
私は自分の持ち音を磨くと言うよりも、変えなければいけない、あるいは音の種類を増やさないといけない、と思ってきたけど。ストン、と腑に落ちた瞬間だった。

本当の自分の声、本当の自分の音を大事にすること。
それをもって、表現すること。

暑い季節は、ドビュッシーが弾きたくなる。

それでは、また!
仲村真貴子