ブラームスと「秋」

こんにちは。仲村真貴子です。

秋になってきたなぁ
と思うのは
ブラームスが聴きたいこと。

ブラームスが聴きたいなぁ
と思うのは
秋になってきたこと。

しかも、
決まって聴きたくなるのは
弦楽器との組み合わせ。

大好きなクラリネット五重奏は
「演奏する」ということに関して言えば
全く縁がないと思うけど。笑

「ソーシャルディスタンス」とか
言われる昨今において
ある意味ブラームスって
心の「ソーシャルディスタンス」を
最大限に感じて
気を使ってきた人な気がする。
気難しいとか言われるけど
冗談好きの、優しい人。

だから、
「室内楽」と言われる類の
「密接さ」を人肌の様に感じるのは
憧れであり、裏返しでもあり、
本心でもあると思う。

…何か、あったまりたいのかな。

例えば、
シューベルトみたいな
「あったまる」だと、
暗い部屋の一本のロウソクで
ありがたい、満足する…
みたいな、
「ここにある、小さな幸せ」。

ブラームスになると
幸せへの「憧れ」っていうか、
憧れられることが「幸せ」っていうか。
自分の中に「あったかいもの」があることを
幸せに思いつつ、
高いところとか
遠いものも求めたい…
みたいな感じかな。

私が本番で弾いた作曲家の中で
おそらくいちばん多いのは
「ブラームス」。

勝負どころではブラームス。
まぁ、他がイマイチだったのもあるけど。
それも1つの価値観だけど、
過去の話でもある。
苦楽を共にした感があるのは、事実。

でも、
自分がちょっと弱った時に
「希望の光」みたいな憧れを
与えてくれるのが
私にとってのブラームスだったりする。

弱ってる時に
たまたま聞いたり、
聴きたくなったりして、
「あ、コレいいな。」
「…その気持ちがあれば
まだちょっと、やれるかな?」
って思うのが、ブラームス。

本当は今月にあるはずだった演奏会には
ブラームスも入れていて。
別に全然気にしていないつもりだったけど
やっぱりどこかで引っかかっていたらしい。

私にとって
「音楽」とか
「ピアノ」とか
「ピアニストであること」
っていうのは、
大事な要素。

自分が、
自分で思うよりも、多分ずっと。

でも、
それが「全てか?」

と言われると、
正解であり、
間違ってもいると思う。

というのは、
私が「ピアノ以外に
何もない人」
みたいなのに、
憧れないから。

そんなこんなで
弾く「以外」のことをぼちぼち
やりつつ…
というか、
それがある程度カタチになるまで
弾かない!!
…と決めていた。

そしたら、
久々に精神的に
マズいことになった。笑

そんな訳で、
聴きたかったり
弾きたかったり。

「コレ、いいよねー。」

と思える自分に
少々ホッとしてしたりしている。

自分がもしも
ちょっとヤバかったら。

いいから
音楽聴け!!
それか
ピアノ弾け!!

っていうかもしれない。笑

何かにどっぷり浸かって
没頭することの極意とは
結局のところ
『癒し』
なんだと思う。

ブラームス弾く時は
身も心もあったかくしてね。

それでは、また!
仲村真貴子

追伸:
ブラームスって人は
ピアノのソロの曲だと
音の数が超少なかったりするのに
「人と一緒」になると
どういう訳か超増えるのよ。笑
アレ、どーなってんの??笑

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください