関ジャム∞

こんばんは。仲村真貴子です。

関ジャム∞という、音楽番組。

結構好きで、たまに見るんですけど。
ミスチルと、福山雅治の回は本当に印象的で。大分前だけど。
あと、失恋ソングの回とか。(笑)

先日の特集は東京芸大。

入試の様子とか、学内の様子とか、懐かしかったですね。

私にしてみると、入試に関わった期間があまりに長かったことと、実際の学生生活は芸大よりもドイツでの学生生活の方が結果的に長くなったので、学内の生活といえば、ひたすら忙しかった印象。芸大もずいぶん外に発信するようになっていて、私たちがいた頃と大なり小なり変わってきているのでは?と思います。

「変わった人が多い」という話。(笑)

音楽家にとって、「変人」とは最大の褒め言葉だと思うのですが。

学内にいた頃は、「変人具合が足りない」と思って過ごしていました。…いや、今もかな。(笑)それを言うと、全力で否定もされるのだけど…それはまだ己を知らない、ということなのでしょう。(笑)

正直に言えば、私の感覚では、「器用な人が多い」という印象。

特にピアノ科は、現役で入る人が多いから、余計にそう思うのかも。というか、それがいちばんの差かな、と思っていました。

譜読みが恐ろしく速いとか、
曲が仕上がるのが恐ろしく速いとか、
恐ろしくアタマがいいとか、
恐ろしく無理がきくとか。

まぁ、人知れず努力をしていて、それを見せないという部分も、「器用」と言うべきかと。でも、その器用さは、芸大特有のもの、というよりも、今は日本の特徴であるような気もしている。というのは、外国人はそのような器用さを持ち合わせていないから。不器用だから、譜読みも、曲が仕上がるのも、速い人にあまりお会いしたことがない。その分、自分の特徴…いいところも悪いところもわかっていて、何を求めるのかが明確なような気もする。私も、実は器用さを求めていた気がするな…。指先のことも、学内でやるべきこといろいろも。

「24人しか入れない」と思って入学して、
「24人も卒業する」と思ったのも、正直なところかな…。

大学4年間は、それぞれが必死であっという間に過ぎて…学内にいる頃から漠然とした不安がある気がする。今にして思うと、「漠然」としているから「不安」なんだけど。(笑)なぜ「漠然」としているか?というと、結局は自分のことを知らないから。そのことを考える時間とか、その感覚そのものが無いような気がする。…とか思うのは、ごくごく最近のことかしら。

「音楽の楽しさを伝えるために音楽をしている」

…その境地には、まだ達していないかなー。

未だに私は、自分を探るために音楽をしている気がする。
あるいは、自分と向き合うために音楽を使っている、というべきか。
自分が音楽によって満たされたら、どこかでそれが役に立てばいいなぁ…とはぼんやり思うけど。

なーんてね。

それでは、また!
仲村真貴子

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