小学校の先生

こんばんは。仲村真貴子です。

先日、小学校のときの友達数人と担任の先生でご飯を。

小学校のときの先生とお会いするときは、決まってタイ料理。
先生が、タイの日本人学校に赴任していたことから。

その影響で、私は小学生の頃…今ほどタイ料理がメジャーじゃない頃から、なんとなくエスニック料理にトライ。甘いのと酸っぱいのと、辛いのが同居する不思議と、同時よくわからない草たち(要するに、パクチーとかレモングラス)に驚きつつ、いつの間にか虜になり、当時全く食べられなかった激辛料理を克服…。

先生の思い出話から、小学生の頃に体験した珍味たちも。
先生がトム・ヤム・クンを作って紙コップで配ったり、竜眼とか、コブラの肝(!)とか。
おかげで、トム・ヤム・クンは大好きだし、リヨンでホームステイしたときにカエルを出されてもビビらなくなった。(笑)
香港で竜眼を食べまくったのは、この小学校のときのことが発端。その話をしたら、先生が「自分の父親が『生の竜眼ってのが本当においしくて…』とよく言っていた。」と言っていて、なんだか不思議な縁を感じた。

当時から、小学校の「先生」っぽさがあまりなく、そこそこコワモテで、でも何だか達観したようなところがあった先生。私たちは、授業をどうにか逸らして、先生に話をさせるのが好きだった。今にして思えば、今聞いたって結構難しいような話たち。教育とか、人に物を習うこととか、日本と外国とか、外国語とか。久し振りに会うと自ずとそんな話になるけど、そういった話は、小学生の頃の方が抵抗がなく、本当のことを見抜いていたかもしれない。あるいは、今よりも素直に面白がっていたかもしれない。

…家に帰ったあと、ある逸話を思い出した。

今はどうだかわからないけれど、小学校6年で習う、分数の割り算。
「ひっくり返して、かける…という方法は知っているけど、どうしてそうなるのか、あるいはどんなときに必要なのか、ちゃんと説明できる大人になって欲しい。」
…先生は、そんなことを言っていた。
当時は「絶対に忘れない!」と意気込んだけど、実生活で分数の割り算を使ったことはなく、どうして、どんなときに…というのは残念ながら忘れてしまった。今だったら、ググれば出てくるかな。(笑)

大事なのは、分数の割り算ができるかどうか?ではなくて。
当時から先生がいいたかったことは、

「自分の力で考えることができるかどうか。」
「自分の力で物事を見極められるかどうか。」

そこだったような気がする。
それが、当時から変わらないこと。

意外に、大人になってからの方が難しいし、
でも、やっぱり今こそ求められることのような。
そして、音楽にもつながる話であるような…。

タイ料理もおいしかったし、今流行りのタピオカもおいしかったけど。
竜眼もまた食べたいけど、いつか「みどりの若いマンゴーに塩をかけて食べる」って言うのをやってみたい。南米の人たちが、こぞって「おいしい」というヤツね。
好奇心とか、どこかでつながる思い出とか、自分のアタマの中とか、いろいろ。

それでは、また!
仲村真貴子

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