Hohe Sensibilität

こんばんは。仲村真貴子です。

最近、本屋さんとかネット上で、「繊細すぎる人へ」みたいな話をよく見かけるように思います。

興味本位で読んでみると、「ふーん、そうなんだ。」という感じかな。
よく登場する言葉は「敏感」「繊細」「高感度」。”Highly Sensitive Person”なんて言葉も登場します。

…そこで、ある言葉を思い出しました。

”Hohe Sensibilität”

直訳すると、ドイツ語で「高感度」という意味。

大先生Ramirezに、とある推薦状をお願いしたときに、妙に印象的だった言葉。
「高感度」って、私、別に最新モデルのデジカメじゃないんだけど…と思ったことを、ハッキリと覚えています。
元医者が書く、まるで診断書のような推薦状に書かれた ”Hohe Sensibilität” という言葉。

マスター・ヨーダは禅問答、哲学がお好きで、「まきこってどんな人?」みたいな質問の答えの一発目は、必ず”Sensitive””Sensibel”…っと、こんな感じでした。へー、そーなんだ…と、他人事のような私。真偽の程はともかくとして、少なくとも彼にはそう写ったようです。

「音楽家」「芸術家」「アーティスト」というと、奇抜さや押しの強さ、自己主張の強さが必要で、イマイチそういうものに欠ける…と、自分でも思ったり、人から言われることが割りと多かったように思います。特に、演奏に関して。

「強くなくてはいけない」「強さも必要だよ」

…その言葉に、若干違和感もあり、苦しさもあり、そうではない自分を責める部分もあったけど。

もしも自分が本当に「高感度」で「繊細」であるならば、それは音楽家にとって必要な感覚であって欲しい。感じるもの、見えるものは、たくさんあった方が素敵だと思うから。確かに、強くもなければ、それこそ勝つこととは反対かもしれないけど。弱いからこそ表せるものとか、微妙な光の加減とか色合いとか、そんなものが音楽の中にあったらいいな…と、ぼんやり思ってきている。

「物づくりをする人は、基本的にネガティブであって欲しいと思いますね。」
とある番組で福山雅治が言っていた言葉に、励まされつつ。

それでは、また。
仲村真貴子