誰かと一緒に演奏するとき

こんにちは。仲村真貴子です。

「歌の伴奏は、何年間やってるの?」

…この、答えに困る質問をしてきたのは
初対面のRamirez。

…え??何?何年間??
高校生の時から?
でも、いつもって訳でもなかったし
途中してなかった時もあるし…。

まぁ。そんな訳で。(笑)

「誰かと一緒に演奏する」と言うことは
割と絶えずやってきた気がする。

元々は、伴奏がしたかった、
人と演奏するのが好きだった…
と言うよりも、
ことの発端は、実は「訓練」だった。

今でこそ、
譜読みはそこそこ早い方…と言うか、
あまり苦にしないけれど、
元々はかなり苦手だった。

楽譜を見せられて
「パッ」と弾く時に、
間違えたらどうしても最初から
弾き直したくなるような感じ。
正直なところ、
今でもそう言うところは、あるけれど。

時には、いいから先に行くのも大事だし、
本番中に何回も止まるわけには、いかない。

これが、「人と一緒」だと
強制的に先に行かざるを得ないので、
「訓練」として連弾とかをやっていた。

「誰かと一緒に演奏する」ことの
最初は、そんなところ。

「誰かと一緒に演奏する時」は、
迷惑をかけないように、
足を引っ張らないように、
出過ぎたマネをしないように、
散歩後ろから着いて行くような…
とか、
かつてはいろいろなことを思ったもの。

あるいは、
「合わせる」とか。

「合わせよう」と思うと、
遅れるし、流れないから。
結果的に合えばいいかな、
あるいは
ちょっと含みを持たせる感じが
個人的には好きだったりする。

歌い回しのヴァリエーションが…とか、
さりげない煽りが楽しい、とか、
手の上で転がす感じ?とか、
テクニックじみたものはさておき。

自分がどう言うスタンスなのか?
と言ったら。

最近は、もう
「応援する」
みたいな感じだと思う。

…え?一緒なのに
「応援」???

例えば、高い音とか、
難しい、弾くのが大変なところとか。

物理的に、
「じゃあ、私が
代わりにやってあげる…!!」
って言うのは、無理なのよ。(笑)

だから、
もう、そうなると、
もう「念」みたいな。

「がんばれー!!」

って言う。

これ。

意外と不思議と通じちゃって
たまにビビるんだけど、
「がんばれー!」って思うと
まぁ、なんか、
出しやすくなるって言うか、
弾きやすくなるって言うか、
そんな…感じで私が弾いてる?
みたいな感じ??(笑)

相手を聴く、割合としては、
実は「話半分」な感じですね。(笑)

真剣な、話半分。

私も、
やること(…つまり、弾くこと)がある訳で
聴きすぎるとうまく行かない。
気を遣いすぎちゃったり、
自分が苦しくなっちゃったり、
あれ?声が、遅れて。聞こえるよ?とか。(笑)

だから、
ちょっと離れたところで
「応援する」イメージ。

ワタシ、ガンバル、
オマエ、ガンバレ!
…みたいな。(笑)

誰かを「応援」することは、
信じることでもあり、
それは癒しでもあるらしい。

…その前に。
まず応援すべきは「自分」かな。
「自分、ガンバレ!」って言う。
そうじゃないと、
誰かを応援する余裕は、
生まれて来ない訳で。

ヤバイ。
そろそろいろいろ
頑張らないと…。

「音楽」とは、
長いお付き合いをしてきたけれど。
「音楽を語る」と言うよりも
音楽との関わり方を掘ってみると
なんか意外なものが出てくるかも
しれませーん。

「音楽」と離れても変わらない、
けれど、
「音楽」が見せてくれるもの。

目に映るものは様々、
でも、おそらく「自分」であるはずです。

それでは、また!
仲村真貴子

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