音と「重さ」の感覚

こんにちは。仲村真貴子です。

「音が出る」と言うことは
すなわち「物理現象」である。

「物理現象」の絶え間ない連続に
感情が乗ったり、
それ以上の感覚とか
場所の空気やら
時代までが影響するなんて
「音楽」とはスゴいモンです。

「楽器が鳴る仕組み」と言うのは
「仕組みが違う」だけで
みんな物理現象。

空気が通るもの、
擦れるもの、
引っ掻くもの、
叩くもの。
まちまちです。

「ピアノの鍵盤」と言うのは
テコの原理を応用したもの。
鍵盤とハンマーの間には
複雑な仕組みがあって、
それは長年の発展の歴史でもある。

「テコの原理」と言うならば
鍵盤を押す側にも
「要領」が必要になる。

要領のいい「音の出し方」とは
何だろう…??

言ってみれば、それが「テクニック」な訳ですが
指が速く動くとはちょっと違った側面かと。

鍵盤とは「力点」にあたる訳で、
そうなると「力の伝え方」の感覚が
重要になってくる。

具体的に言えば
自分の腕の重さを、どう使うか。
その重さを、指に、鍵盤にどう伝えるか。

一般に、
「ピアノは脱力で弾く」
なんて言われますが、
本当に、完全にまるっきり脱力してしまうと
ピアノは弾けません。

全くチカラが入っていない状態。
ヨガの「屍のポーズ」みたいな感じ?

一方で、
「脱力で弾く」とよく言われる理由は
力が入り過ぎてしまうことが
多くあるからだと思います。

人間って意外と、
力を抜くのを怖がる生き物なんですね。
ある意味で、
力を「入れる」方が簡単なんです。
だから、
力が抜けた状態というのがわからない。

ピアノを弾くのにいい状態、というのは
「脱力」というよりも
「ニュートラル」という状態かと。

要するに、
特別力んでいる訳でもないし、
抜け過ぎている訳でもない。

自然な、
何もしない状態。
ただ、自然に置いただけ。

…っと、言葉で書いてみるものの
コレを「体感」するには
結構難しいものがあります。

ピアノで音を出すには、
当たり前だけど鍵盤に触れる必要がある。
直に接していなければならない。

…コレが、
今流行りのリモートを使った時の
限界点でもあります。

つまり、
自分の腕の重さとか
力加減を
「体感」することが、できない。
理由は、
異空間にいて直に「接していないから」です。

例えば、
手首や肩なんかが力が入っていたり、
逆に指先の関節が抜けていたりするのは
見ればわかる。

音を聴いてイマイチだったり、
何回も同じところで躓くのは
姿勢や弾き方に問題があるのは
容易に想像がつく。

でも。
さて、じゃあどうやって解決するか?
…となった時に、
この「ニュートラル」という感覚とか
一体どのくらいの「重さ」がかかっているのか?を、
「体感」として伝えることが、
できないんですよ、やっぱり。

まぁ、不自由なことがあると
知っている知識…
知識というよりも
言い回しだったり
例え話だったり
物理現象だったり、
なんかもう国家総動員で
鍛えられる!!
…のはいいんですが…。。
ジレンマでもありますね。

「何グラムでお願いしまーす!」
とかいう訳にもいかないし。笑
確かに、
その感覚を掴むのに
バネばかりを使ってみたり
握力を鍛えるためのボールを握ってみたり
過去に色々なことを試しましたが…
それも「直」に接する
イメージがあったからこそ。
それでも習得に時間がかかる、
難しい感覚です。

音楽というものを、
「技術の習得」と
「物理現象」で片付けるのは
あまりにも浅くて軽率だと思うのですが。

「匠の技!!」
とかでもないけど、
技術の習得とは、やはり時間がかかるもの。
その「時間」がかかる難題に
どう向き合うか。
そこで深まっていくものも、
やっぱりあるのだと思います。

「単なる物理現象の連続」に乗る感情とか
「重さ」にかける命とか。

音楽の可能性とは
無限ですね。

それでは、また!
仲村真貴子