クールな「頭」と熱い「ハート」

こんにちは。仲村真貴子です。

…最近、ようやく
「教える」と言うことを
始めています。

長いこと
「教える」と言うことに
興味を持ちつつも
どうしてもできなかったんですね…。

1つは
「ワタクシのようなものが
人様にモノを申し上げるなんて、
滅相もございません。」
と思っていたこと。

本気です。笑

「教える」ならば、
スーパー弾けて
スーパー出来た人間で
あらねばならぬ。

あるいは、
軽々しくモノをいう「先生」への
反発心もあったかもしれません。

私は
自分の言動には責任を持ちたい。

でも、
それがあまりに強すぎると
「ワタクシのようなモノ」は
モノを言えない、
モノを言うに値しない…
そんな悪循環がありました。

もう1つは
「何を教えたらいいのか分からない」。

これは、
決して高飛車な意味ではなく
本当に実感してみないと
「分からない。」

思えば「ピアノ」とのお付き合いは
年齢マイナス3歳、
要するに3歳から弾いていて
文字を覚えるよりも、
まともに喋るよりも先に
「ピアノを弾いていた感」が
あります。

だから。
無意識すぎて
自分で何をやっているのか
実はよくわかっていなかった。

弾けない曲があれば。
「えー、さらえばいいじゃん!」
で、終わってしまう訳ですよね。
「どうさらうのか?」は
習慣になりすぎて、気付かない。

いざ、リモートでレッスンをしてみると
もう必死です。笑

ワタクシの
脳内コンピューターフル稼働。

ここをカイゼンするには
これをこんな風に伝えて
これを試してもらって
これをカメラに写したらいいのかなぁ…
それから
こんな練習したら
上手くいくはず!

みたいな。笑

画面越しに得られる情報と、
こちら側が「写るモノ」も含めて
ちゃんと見せられるかどうか。
伝えられるかどうか。

「その瞬間」に、
どれだけの「熱量」をかけられるか?

と言う意味では、
本番と同じくらい。
もう、笑っちゃうくらい
「自分自身」との勝負です。

現実に。
本番後と同じような症状が出ました。笑

3歳の頃から変わっていないこと…
と言えば、
不器用でも出来なくても
「一生懸命」なこと…
かもしれません。

あるいは、
自分に課していること。

小さい頃のあだ名は「のろまっこ」、
走るのとかも遅くて
ほぼビリでしたが。
途中で逃げ出すのが嫌で
最後まで1人で走ってるような感じ。

別に「1人」がイヤとか、
「恥ずかしい」みたいな感情は
ないんですが。
「投げ出す自分」が許せなくて。
…で、走った後に倒れたりしてました。笑

もう1つは
「小指の長さ」。笑

オトナになったら小指の長さが
人並みに…

と言うのは、
果てなき夢でして。

私、生まれつき小指が短いんです。

えーと。
5センチ足らず…くらいですかね。
薬指の第二関節ギリギリ。

体の割に手は小さいし、
あんまりピアノには向いていないかも。

人がラクラク届いて
「ヒョイっ」
と弾けるところを
どーにかこーにか
アホみたいな時間をかけてやる訳です。

割とアホ。笑

無意識の
「どーにかこーにか」は
いつの間にか
「独自の方法」に
進化を遂げたようですね。
小指は伸びなかったけども。

「テクニックとは
正解・不正解ではなく
自分のやり方を見つけること」

とは、師匠Pistoriusの名言。

いつの間にかそれが出来て、
尚且つそれがお役に立てるのならば
ニヤニヤが止まらない…
そんな気がいたします。

「熱いハート」とは
「怖い先生」って言うことではなく。

エネルギーの強さと、
それに解析を進める
冷静な頭脳を持ち合わせていたいな…
なんて思いつつ。

新たなアイディアも浮かんできて
ニヤニヤしているところでございます。

それでは、また!
仲村真貴子

追伸:
「5センチの小指の物語」(仮)は
近日公開の予定でございます。