外国にまつわる、よもやま話10〜あるものを使うこと〜

こんにちは。仲村真貴子です。

「ドイツで得たかったものは、何?」

と訊かれたら。

実は「テクニック」と
即答するかもしれない。

「テクニック」に自信がなかったから。
「テクニック」が良くなったら
自信が持てる…と思って。

…あ、欲しかったのは
「テクニック」じゃなくて、
「自信」かな…。

「テクニックが欲しくて」
と言うと、
「ほら見て!日本人。
テクニックばっかり…」
と言われるので、
そこにも傷つくから
言うのも恐れるけれど…。

じゃあ、
いちばん変わったことは何か?
と訊かれたら、
やっぱり、意外と

「テクニック」

と答えると思う。(笑)

「テクニック」と言うよりも。
「テクニック」に対する
「考え方」が変わった。

これが、多分大きいと思う。

私のテクニックに対するコンプレックスは
結構大きくて、根深い。

よくいう
「テクニックじゃないから…」
と言う言葉は、
正直なところ綺麗事、と言うか。

手が小さい、
小指が短い、
関節が緩い、
指が弱い、
指が回らないことに加えて

「音の立ち上がりが悪い」

これが大問題のコンプレックスだった。

「持ち音」と言われる、
その人の特徴、持ち味となる
「音」。

それを
「テクニック」と言う一言で片付けるなら
今ならば時期尚早だと思う。

けれど、
例えば指の関節が弱くて
音が立ち上がらないのならば
「テクニック」のせい!となる。
これさえ解決できれば…って。

あるいは、
音の立ち上がりが悪いことで起こる、
「表現の弱さ」。
コレが辛かった…。

表現の弱さ、と言うか
「表現が弱く聞こえること」かな。

音楽なんぞを志すものは、
強くあらねばならぬ。

あるいは、

強い表現ができない、
表現が上手じゃないのは
「才能」だから。
才能がないってこと。

それか、
「弾きたい」って気持ちが
それほどない、ってこと。

…精神論とか、人格否定になるなら、
「テクニック」のせいにした方が
自分にとって好都合だったのかも。

とにかく、
その位、根深いコンプレックスだった。

原因の1つには
やっぱり「受験」とか「コンクール」とか
「結果」が必要な舞台を
たくさんやりすぎたこと。
あるいは、
その影響をもろに受けすぎたこと。

ドイツに行った頃には
「結果」が出る本番に心底疲れ果てて
しばらくはコンクールなんて
考えられなかった。

「コンクール」のために曲を選んだり、
作戦を考えることに
本当に疲れていた。

それに、
コンクールだと
「テクニック」が必要だから。(笑)
後遺症たるもの散々だと思う。

本番が恐怖だったわけではないけれど、
日本では…と敢えて言うならば、
学生の時は「試験」とか「コンクール」とか
やはり「結果」が求められる舞台がほとんど。

ポジティヴな意味で
「失敗」できる本番は、
ないと言った方がいい。

そこは、
ドイツの方がいいところかな。

行くまでは全く知らなかったけれど、
学校での本番の数は、
かなり多い。
それも、
自分のペースに委ねられているところが
大きい。

学校は半年で1ゼメスター(=学期)
と言う数え方をするけれど、
大雑把に授業4ヶ月、休み2ヶ月が
一年に2セットある感じ。

その中で、
1ゼメスターの中に
いわゆる門下、クラスの演奏会が
2回はある。
その他、
専攻ごとの演奏会、
室内楽や伴奏など、様々。

もちろん、
いい加減なつもりではマズいけど、
コンクールや試験のための準備として、
あるいは新しい曲を初めて弾く機会としては
すごくありがたい。

…考えたら、
4ヶ月に2回と言うのは
結構ハード。
それに、
前述の通りの練習量。(笑)

コレも、
ペース配分や
アタマを使う、
計画を立てると言う意味では
鍛えられたところだと思う。

あるいは、
本番の当日にどんなリハーサルをするか、
何を食べるか、
何時に起きるか、
練習室がもらえなかったらどうするか…
などなど、
「本番」のときの5W1H的な何かを得たのも
この頃の経験だと思う。

曲を仕上げるにも、
何をいつまでにどれくらい、
この日まではこっちをやる、
この日まではこっちはやらない、
1週間前位までに仕上がるイメージ、
5日前からはできればペースダウンしたい、
前の日はコーヒーは控える…
などなど。

無いアタマも
使えば使えるようになるものです。(笑)

「あるものを使うこと」
今日のところはこの位で。

それでは、また!
仲村真貴子

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