録音から見える「自分」②

こんばんは。仲村真貴子です。

私が「録音」というものを
嫌った理由に、

「アラが目立つから」

というのがあります。

現実を直視できない、
粗探しをする…。

当然、
録音と実際の生演奏は違うので、
録音して練習していたら、

「演奏が崩れるし、
テンポとか音が変わるから
やめた方がいい」

と言われたこともあります。
20年前位かな。

録音をすると
アラが目立つ。
予想外に、
ヘタクソ。
もっと上手くなりたい!
と思う。

当然ですよね。
そのための録音だし。

でも、コレ。
実は落とし穴じゃないか?と思う。

粗探しをするならば、
音質が悪い録音がオススメです!(笑)

携帯の録音アプリの、
会議用とかに使う、音質が悪いヤツ。
これで上手く聴こえたら、
大体結構上手いから。(笑)

ショパンのバラードの3番とか、
これで何回もやってました。
出だしだけ。
「もう2度と弾きたくない!」
って思う位。(笑)

まぁ、これはこれでいいんだけど、
そういう話ではなくて。

自分の録音を聴いて、
自分を「客観視」することだとしたら、
粗探しではなく
「逆」も必要で、
出来るハズな訳で。

つまり、
「自分のいいところ」って、
なかなか気付かない。

「粗探し」って、
いくらでも出来る。
もう、無限に。
それが、「向上心」という美徳に感じられる。
すごくわかるけども。

「自己肯定感」なんて言葉が騒がれて久しいですが、
そこに関しては外国人から気付かされることが
多い気がします。

もう、ずっと前ですが、
サッカーの元通訳で代理人のロベルト佃氏の
本を読んだ時のこと。

日本人は欠点を治そうとするのが得意で
いいところだけれど、
それを「長所」とする人には敵わない。
代理人として売り込むには
「長所」を集めたビデオを作る訳で、
それに気付いて、
そこを延ばす必要がある。
そうすることで、
短所が隠されたり、
いつの間にか改善されている…

…そんな様なことが書いてあって、
衝撃を受けた記憶が。

文字では理解できるけども、
これが「思い上がり」の様に感じられて
なかなか難しい。
…というか、よくわからない。

マスター・ヨーダのRamirez。
「昨日、何してた?」という話になると、
たまに
「自分がどこどこで歌ってた録音聴いてた。
いやー、自分超上手く歌ってたな〜と思って、
お茶飲んでた。」

…まぢで??

……コイツ、大丈夫か??!!
(多分、大丈夫ではない。笑)

ということが、
度々あり…。

あるいは、
友人の師匠のRizzi。

なかなか毎度辛口!だけど、
「たまには自分、
うん、いいな!
って思うことも大事だよ」
…だそうで。

そんな訳で、
お茶飲んで、
他のこととかやりながら
録音なんぞ聴いてみたり。

まぁ。
そこ、ミスるなよ!
(…覚えてるけども、ね。
…という、ツッコミ。笑)
とか、
今日はちょっとスクリャービン、
気分じゃないなぁ…
とか、あるけど。

たまに、
何となく耳が行って聴いちゃったり、
ショパンとかたまに、
来て欲しいタイミングで
来て欲しい音が来たり。

ふ〜ん、ほじほじ…

と思いながら、
悪い気はしないですね。

自分の「いいところ」を探すことは、
思い上がりや有頂天でも、
ましてや「ナルシスト」でもなく。

それこそが
自分を「知ること」
なんだと思います。

人から言われること…
でもなく、
自分で気付くこと。

「いやー、自分あの時超上手だったなと思って。」
「さすが俺、天才!!」

…みたいな境地には
未だ到達しておりませぬが。(笑)

そんな日って、来るんでしょうかね?
まぁいいや。(笑)

それでは、また!
仲村真貴子



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