指使いにおける一考察

こんばんは。仲村真貴子です。

今までたくさんの先生についてきたけれど。「指使い」については、細かく言う先生と、全く言わない先生に分かれると思う。一人ひとり手は違うのだから、指使いは自分で考えて好きにするべき、というのはうなずける。ただ、大事なのは「指使い」というものの考え方かな、と思ってきた。

わりと最近、「内声をいかにして浮きたたせて、いかにしてつなげるか。どう立体的に聴かせるか。」という話をしているのだけど。実は師匠Pistoriusは度々”Mittelstimme”と言っていて、つまり内声を聴かせろ!と。聴かせろというか、聴けというか、ともかくこれがイマイチできていないことに反省して、今更これが大事!ということに気付いてきている。

面白いことに、Pistoriusはこの内声を生かすために、指使いのロジックを持っている。内声をつなぐために指使いをどうするか、5度のときは3、6度のときは4を使う…というような。これができると、譜読みが速い、ミスが減る、暗譜が飛ばない…と漠然と思っていた。ただ、実は残念ながら私は、この指使いのロジックが採用できないことが多かった。小指が短いのと、手が小さいことで届かなかったから。法則が面白い、と思いながら、指使いはそれぞれが勝手に、弾きやすく弾く為のもの、とまだ思っていた気がする。

Pistoriusは超絶指使いマニアで、夜中とか明け方とかに指使いを書いた楽譜のデータが送られてくることがしょっちゅうだった。Pistoriusがいない間についたJussowも、「譜読みに時間がかかるのは、指使いを決めるのに時間がかかるから。」と言っていて、結構ビックリしたことがある。彼らはそれぞれにロジックとか、トリックとかを持っていて、それに助けられたことは多々あったけど、2人ともそれは「ロシア系から受け継いだもの。ドイツで習った訳ではない。」と言っていた。

指使いを考えるのに、そんなに時間がかかるものかな?と正直思っていたけど。
もちろん、弾きやすさとか、ミスをしないとか、省エネみたいな発想もあるけれど。
例の内声の話をしていて、彼らが何のために指使いを考えていたのか、ようやく気付いた。つまり、指使いが、「楽譜をどう読むか」ということに関わっているのだと思う。声部のラインをつなぐため、パッセージを細かく分解してカタチで捉えるため…などなど。この発想は、もしかしたら弦楽器に通じるところがあるかもしれない。

指使いを考えることは、テクニックのためだけではなくて、
「楽譜の読み方と密接に関わっていること」
教わったことを本当に自分のものにしていくのは、まだまだ時間が必要なようですね。

それでは、また!
仲村真貴子