ショパンのノクターンにおける一考察

こんにちは。仲村真貴子です。

「ショパンの、ノクターンがいいなぁ…」

と思うのは、私も少々歳をとったのかも知れません。

…というか、
正直「ショパンのノクターン」って
あんまり知らなかった。

音楽史なんかでは
「ショパン独自のジャンル」
「ショパンが完成させたもの」
なんて書いてあって、
そんな感じで勉強するんですが…

「ふーん、そーなんだ…」

って感じですかね。笑

ショパンのノクターンって
実際のところあまり弾いていない。

例えば
「ショパンのノクターンを入試で弾いた人」って
多分いないと思うんですよ。

そんな具合。

友人とピアノトリオの演奏会をやった時は
「それぞれにソロを弾こう」
という話になって。

やっぱりショパンかなー??
と思ったんですが。

「ノクターンとか、どう?」

という先生のお言葉を
断固阻止した覚えがあります。笑

「あの、有名な曲以外にも
いい曲、たくさんあるのに…」

と言ったお言葉を、完全無視!です。

その後の、
「じゃあ、舟歌ならいいの?」

と言われて、大喜び。

…そんな具合。

わーい!!舟歌!!
私が舟歌弾くなんて!!!

要するに、軽く見てたんですね。
「弾けない人が弾く曲」
みたいなのが、
悔しかった。

今ならば、それは大きな誤解で。

「弾きたいもの」
「弾けるもの」を、
素晴らしく弾くこと…

それが、まず大事。

簡単なたった一曲でも
素晴らしく弾けることは
大きな価値を持つもの。

ショパンのノクターンを
技巧的な面から見ても
「カンタン」
と思うのも、誤解。
確かにバラードとか
スケルツォに比べたら
ラクなものもあるにせよ、
結構大変です。

…まぁ、最初に弾いた「ショパン」が
ワルツだったのがマズかった様に
思いますね…。

ワルツじゃなくて「ノクターン」だったら
違ったかも。
スケルツォじゃなくて「バラード」だったら
違ったかも。
え、エチュード??

…そんな感じ。

「ノクターン」のいいところは
やっぱり距離が近いところ、
かも知れません。

私的な「詩」。
歌曲に近いかな。

結構、曲想からショパンって
「大衆向け」
「ウケがいい」
「きらびやか」
みたいなイメージがあるけど。
そういう一面もあるにせよ、
ちょっと違うかな。

私が「ショパンが苦手だった」
とするなら、
おそらく
大勢の人が持つショパンのイメージと
ちょっと違ったから。

その意味で
音楽家や芸術家の役割とは
「常識」や「慣例」を
「疑ってみること」
かも知れません。

あるいは
そこから「自由」になること。

入試で
「ショパンのノクターンを弾きたい!」
という人がいたら
オススメはしませんが。

オトナになった特権は
「ショパンのノクターン、
いい曲だよね!」
と、大手を振って言えること。

師匠が自身のリサイタルに弾いた
ショパンのノクターンが素晴らしくて
私も真似て弾いたけど、
CDにまでするとは
ちょっと思ってなかった。笑

気をよくした私は
プログラム本編に入れることまで
模索し始めた。
あ、その予定だったんだっけ。

作品62っていうのは、
有名どころの「舟歌」や
「幻想ポロネーズ」と連番で
完成度と共に
晩年特有の「何か」を感じる。

ノクターンが、多分
いちばん感じるかも。

「苦悩」というよりも
「憧れ」とか思うのは、
まぁ私のちょっとヤバイところ…
かも知れないけど。
それまでのショパンの作品と、
またちょっと違った「光」を感じられるし、
願わくばその「光」を
「気持ちよく」感じて弾きたいな…
なんて思ったりする。

音楽は
「気持ちよく」ないとね。

「夜を想う曲」ってあるけど
「朝を想う曲」ってあんまりないから。
ショパン、もしかして
夜型人間だったのかな?
まぁいいや。笑

それでは、また!
仲村真貴子

追伸:
私のショパンの「黒歴史」を書いた書籍。
読んでみて。
https://makikonakamura.com/lp/makiko/