11月22日 リサイタルに寄せて 〜その25「ヴェルディと◯◯」〜

こんにちは。仲村真貴子です。

ヴェルディにエジプトが舞台となるオペラを依頼するに当たって、
手紙の中で
「ヴェルディが断ったら、依頼先をグノーやワーグナーに変更してもいい」
と書かれていた、という話。

結構面白いですよね。

是非、グノーやワーグナーにも「エジプトが舞台となるオペラ」を書いて頂きたかった。

グノーが「エジプトが舞台となるオペラ」を書いたら、結構ヒットしたのではないか?と思う。有名なオペラに「ファウスト」「ロミオとジュリエット」がありますが、「ファウスト」は個人的に「好きなオペラを10作」と言われたら、多分入れますね。それ位好き。「ファウスト」も、「ロミジュリ」も、重めの題材の台本を、あまり重くなく聞かせるのが上手だと思うので。「そう言えば、実はこの話、重いよね?」というような。耳心地がよくて、エキゾチックで、それでいて「実は内容が重い」、エジプトが舞台のオペラを書いてくれたのではないか?と思います。「エジプト風」というピアノ協奏曲を書いた、サン=サーンスも連想しつつ。でも、グノーの方が拍がわかりやすいかな。(笑)

作曲家たちの関係とは数奇なもので、意外な人が「同い年」。
例えば、バッハとヘンデル。
ショパンとシューマン。

…そこで、「ヴェルディ」と「ワーグナー」。

「対極にある二人」が、なぜ対極にあるか?と言えば、
「お互いの存在を意識しているから」に他ならない。
お互いの存在をスーパー気にしつつ、我が道を行く。
…「仲良く協力して…」とはならないようですな。
さすが、我が強い。(笑)

ワーグナーがもしも「エジプトが舞台のオペラ」を書いたら…?
上演に何日かかって、いくらかかるオペラを書いたんだろう?とは思うけれど、ちょっと想像がつきにくい。ワーグナーの音楽には、「異国の要素」をなかなか感じにくい気がするから。もちろん、パリにいたこともあれば、インドのバラモン教や仏教にも興味があったようだが、音楽の中であまりに独自性が強い。あるいは、「ドイツ」「ルートヴィヒ2世」、その辺りのイメージが強すぎるかもしれない。
もしも「エジプトが舞台のオペラ」を書いたら。
エジプトの神話にまつわる何かを書いてくれただろうか。
ヒロインの女性には、やはり「救済」を求めただろうか。
「二羽のカラス」や、「森の小鳥」の代わりに、「ふくろう」にも出番があったかもしれない。(笑)

ヴェルディという作曲家は、ピアニストからすれば少々縁が遠いというか、極端に言えば別に関わらなくてもいいように思える作曲家。あるいは、ロマン派の頃のイタリアの作曲家にピアノ曲を書いた人があまり多くなく、「イタリア」そのものが少し遠く思えるかもしれない。とは言え、イタリア人に優れたピアニストが多いのは、「歌心」というものが大きく関わっているとは思う。

ヴェルディの凄いところは、生涯にわたってヒット作を連発し続けたところ。
未発見や改訂版も含めると30を超える。
そして、その全部が「それなりに大作」。
「椿姫」「アイーダ」「オテロ」、この3つくらいあれば、いやどれか1つだけでも十分に後世に名を残す作曲家だったような気がしますね。
ちなみに私は「仮面舞踏会」が好き。(笑)
あと、「ルイーザ・ミラー」の中のテノールのアリアは最高ですね。(笑)

ヴェルディの中に見る「ベートーヴェン」という点では、
ベートーヴェンが「ピアノ・ソナタにおいてやったこと」を、
「オペラで」やったように思います。

ベートーヴェンのピアノソナタは32曲。
偶然にせよ、ヴェルディのオペラも大体30作。
作風によって、年代を分けて考えることもできる。

作曲家によってスタイルがあるから、「やってることはずっと同じ」と言ってしまえば終わってしまうけれど。
例えば、ヴェルディと言えば「あのダサい3拍子」「取り敢えずのズン・チャッ・チャッ」(…どうもすみません。笑)と思うけれど、
「アイーダ」では結構それが既になりを潜めてきていて、あまり「ダサい」要素が感じられない。「ドン・カルロ」「運命の力」なんていう、ヴェルディの中でも重量級のオペラを書いていた頃で、ある種「交響的な響きや構成」が「オテロ」へと繋がるように思います。この辺りの作風の変化、試行錯誤なんかもベートーヴェンに繋がるかも。

つまり、意外とそれぞれの作品の中で、「全部違うこと」をやっている。

「アイーダ」の特色は、やはり「エジプト」という異国。
それから主人公が女性であること。
また、「血だ、呪いだ!」というよりも、「国と個人」「敵か愛か」と言った、2つのもので揺れ動くものの描写。

「エジプト」と言えど、「エジプト」を連想させる音遣いは、この「巫女の踊り」位なもの。それ以外は、ナイル川の描写、あるいは人物の心の葛藤を表すものはあれど、意外にエジプトっぽくはない。つまり、あくまで「ヴェルディのオリジナル」という印象。
ヒロインに関しては、あの「椿姫」に代表されるような薄幸で病弱ではなく、地位とか国のような「大きなもの」に翻弄される女性。そう言った意味では、新しいヒロインかもしれません。設定の中で、なんと二十歳とは驚き。若い。(笑)

リストは、その「エジプトっぽい」響きのする部分に目を付け、また編曲作品としてはヴェルディもワーグナーのものもたくさん存在しています。
リストは、どちらかの影響を受けた、というよりも、「両方見ていた」という立ち位置。やはり、彼独自の目線は、面白く、同時に意味深であると思います。
そして、今回演奏する「アイーダ」から「幻想ポロネーズ」への流れは、ちょっとお気に入り。

ヴェルディとワーグナーの話は、また次回に続きます。

それでは、また!

仲村真貴子
Facebook→https://www.facebook.com/MakikoNakamuraPianist/
twitter→@N_Makkinko
instagram→@makkinko_nakamura
お問い合わせはコチラ→mail@makikonakamura.com