11月22日 リサイタルに寄せて 〜その5 「サロンのような…」

こんばんは。仲村真貴子です。

今回のリサイタルを企画するにあたって、まず開始したのが場所選び。

思いつく条件は、
・50人を少し超えるくらいの規模の場所
・交通の便がいい
・ピアノがいい
…ひとまずこれくらいだった。

都内にある場所をリストアップして、3つくらいに絞って、あとは場所を実際に歩いてみて、訪れてみて、弾いてみて。それで、決めた!というワケ。不思議と、人には相談しなかった。自分の感覚を信じたくて、怖くても自分で決めたかったんだと思う。

場所を決めようとしていた頃の記事…
外回り
https://makikonakamura.com/%e5%a4%96%e5%9b%9e%e3%82%8a

「…あなたのイメージ、サロンでしょ??」

ある人に言われても、自分ではそこまで深い理由があったようには思えず、いまいちピンと来なかったのだけど、プログラムノートのために読み始めた「ジョルジュ・サンドと四人の音楽家」という本を、読み始めた時点で納得した。

ショパンやリストが生きた時代の、「社交の場」。
ジョルジュ・サンドは当時の政治や芸術のエリートから庶民にいたるまで大勢の人々との付き合いを持ったそうだ。

大学の時の授業で見た絵で、当時のサロンでの様子が描かれたものがあった。その中に「犬」が描かれていたのを、すごくよく覚えている。それだけ、私的で身近で、いい意味で飾り気のないものだったんだと思う。残念ながら、今回は「犬」は呼べないけど。(笑)

実は、他に回った場所と、選んだこの場所の違いとして「平土間だったこと」がある。舞台の上にピアノがある訳ではなくて、同じ目線の「そこ」にある。「サロン」とは、段差や境目がない場所のこと。

「高いところから、遠いところから、音を出してモノを言いたい。」
という感覚は、私にはないみたい。
そうではなくて、もっと私的な、デリケートなモノを共有したいのかもしれない。
相手の顔が見えるところとか、
相手が誰なのか、わかるところで。

ついでに言えば、異業種の人たちが集まる「サロン」という場所から連想するに、私自身が「音楽家」という職業を、それほど特殊だと思っていないのだと思う。

確かに、私生活は割と謎だし、ちょっと変わった人が多いし、大変なことも多い。でも、それらは、何も音楽家じゃなくたって、サラリーマンだって、お医者さんだって、学校の先生だって、きっとそういう部分はあるはず…というのが私の持論。

「共通するもの」と「違うもの」
それらを「共有」すること

でも、それらは「違う」だけであって、「上下」とか「優劣」がある訳ではないこと。

自分の中に、そんな思いがある気がしますね。

「サロン」という場所や雰囲気
舞台が「なく」、平らな空間
演奏者と聴衆が同じ目線
…そんなことから、あなたはどんなことを思われるでしょうか。

それでは、また!

仲村真貴子
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