いい声とか、受験とか

こんばんは。仲村真貴子です。

運か、才能か、努力か…。

スポーツなんかを観ていると考える、この得体の知れないものたち。
音楽家にも似たようなことが感じられるかもしれない。

夏を感じる頃になると連想するのは、受験とか、コンクールとか。
これはもう、長年染み付いた悲しい性であるような気がする。

「声が歌に向いてない、と言われて、音大の受験か一般大学か迷い始めている。」

今日、こんな連絡を頂いた。

受験で回数を重ねた私としては、受験の悩みはよくわかるつもり。
自分の気持ちに正直に決めてね…と言いたいところ。
それでも、先生とか親とか、大人の言うことに従いたい気持ちもわかる。
今までなら、「後悔しないように考えてね」と言ったかもしれないけど、今だったら「後悔したら、やり直せばいいからさ。」とか言うかもしれない。

…そもそも、「いい声」って、何なのかなぁ…。

「歌はオリンピック選手と同じように、持ち物で決まってしまうところがあるから」とはよく言われるけど…うーん、本当にそうかなぁ…。

ピアノも一応、持ち物とか、あるゾ。(笑)
小指も短いし、手もそれほど大きくないし、関節もゆるいし。
「合格できる力はあると思ってきたけど、思ったより才能が無くて残念だったね。」とは、よく言われた言葉。落ちたことに加えて、輪をかけて傷ついたけど。でも、「本当にそうか?」と3ミリくらい思っていた気がする。意地とかいうより、疑ってかかるような。そうこうしているうちに、たまに助けてくれる人が現れたりする。

受験が一大事なのは、人一倍理解しているつもり。
でも、音大に行く=音楽家になる、普通の大学に行く=音楽をやめる、みたいに短絡的に考えなくてもいい気がしている。普通の大学で音楽以外のことを勉強するのは、音楽をやるにしてもプラスに働く気がするし。競争して、自分をすり減らして、無理に音大に身を置かなくてもいいような気もする。そのくらいで、あんまり思いつめずに考えて欲しいな…なんて、遠くから思っている。

「悪い声なんて存在しない。悪い発声があるだけ。」
とは、とあるイタリア人の言葉で、秘かに名言だと思っている。

確かに、大劇場で大向こうを唸らせるにはオリンピック選手のようなポテンシャルも必要かもしれないけど、音楽家のあり方としてはそれだけではないはずで。受験も大変だけれど、どうにか歌とか音楽との、いい付き合い方を見つけて欲しい。

…その前に、自分のこと、かな。(笑)

それでは、また!
仲村真貴子